かけ算で解ける問題が目の前にある。しかし本人はかけ算を知らない。
かけ算が書かれた教科書がある。しかし本人は読まない。
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( ‥)かけ算ですか。
(‥ )かけ算って難しいんだよ?
辺と辺をかけたら面積が出ましたとさ。話が1次元から2次元になっとる。かけ算をなめちゃいけません。
連立二次方程式で解ける問題が目の前にある。入力すべき数値もある。それを書いた本もある(この比喩に関しては少なくとも1冊、教科書以外で言及した本がある)
しかし本人はこれを読まない。
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( ‥)教えるべき?
(‥ )本人が読めばいいんじゃない?
実際、例えばの話、ここにはやっかいな問題がひそんでいる。パラダイムって言葉は安易だけども便利なので使うと、
そのパラダイムを受け入れて、そのパラダイムにそって考えないと解けない問題がある。
というかそのパラダイムにそって考えないと、解けても答えの意味が分からない場合がある。
( ‥)というか、実のところなんでもそうなんだけどね。
∧∧
( ‥)まあそうでしょうねえ。
かけ算でも連立二次方程式でも同様。値を入力する、答えがでました。実のところそれは理解などとは言わない。複雑怪奇なプログラムで動いているパソコンを操作して答えを出すことはプログラムを理解したことにはならない。PAUPを使っても、それはPAUPを理解したことにはならない。
例えばの話。次のような事例は理解について興味深いひとつのヒントになる。
経験から物事の一般的な性質なり答えを結論づける。いわゆる帰納法。しかしじつはこれは論理的には正当化できない。あるいは論理を演繹だというのなら正当化できていない。なぜなら一部の事柄から一気に全体の事柄を結論づけるから。それは論理の飛躍だ。
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( ‥)例えば、これまでの経験から太陽が明日も東から登るという
結論を導くことは
(‥ )以上の意味では論理的に正当化できない。
それは証明ではない。
だがこういうとこんなことを言う人がたまにいるそうな。曰く
何を馬鹿な!! 物理法則から明日も太陽が登ることは明らかであり、証明できる!!
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( ‥)はあ・・・それで?
(‥ )このことは次のことを示していると解釈するのが
たぶん、妥当。
その人は理論や法則がどのようにして導かれ、それが科学においてどんな過程に相当するのか理解していない。
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( ‥)かけ算を理解しないと同じ?
(‥ )かけ算を使えるし、九九も暗記しているが
かけ算を”理解できていない”とたぶん同じ。
まあ確かに思うわけですよ。そりゃあまあ、理解ってのはこれが容易ならざることでしてね。