こんな話。知り合いの子が車いすで遠出を試みたさい、森の中の小川近くに花が咲いているのを発見。川辺までいける道があったので、それを利用して近づいたら、一見固そうだった地面はとんでもないぬかるみではまってしまい、まったく身動きがとれなくなった。
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( ‥)怒られたみたいですね
( ‥)そりゃあ危険だからな。怒られるのは当然だろう。
雨が降って増水したら流されちまう。
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( ‥)あなたはどう思うんですか?
(‥ )見たいものを見ようとして行った、
その行動力、かくあるべし。
知り合いのイラストレーターも同意見だった。「それは良し」と。そりゃあそうだ。絵を描く、見る、観察する、なんであれ行動力がともなわなくちゃあいけません。それが危険であったとしても(あんまり危険なのは困るが)、あるいは心に思い描く絵を描く時にだって見ることは当然必要だ。
ものを見なくちゃ心の中も描けない。森に興味を持つのならそれで描けるものは増えるだろう。絵を描く才と物事を見る行動力があるのなら、それはしっかり握っていなければいかん。
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( ‥)あなたの知り合いのように、脳内の映像を視覚的に
”見て”描いちゃう人もいますよね?
(‥ )あっこまでいくとさすがに危険じゃないか? と思うけどもね。
へたすりゃ彼岸の彼方を飛び越えてこっちに帰ってこれなくなるかもしれん。できることは知っているし、ある程度は”できる”状態にもっていくことだってそりゃあできるけどもさ、しかしだよ、
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( ‥)でも、あれはちょっと危険ですよねえ。
( ‥)あれはなあ・・・・
とはいえ、ああいう能力/あるいはそれに近似のものがあるからしかるべき絵が描ける。
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( ‥)あれってどんな能力なんですかね?
(‥ )努力と訓練もあるけども生まれ持った力だろ?
しかもトレードオフなものだと思う。
何か異能の才あれば、何かが犠牲になっているもんだ。実際、反対に言えば世の中には”まとも”だからどうしようもない絵しか描けないやつがいる。とはいえ、まあねえ、それはねえ、不幸なのか幸福なのか、さてどっちなのやら。少なくともセカンドライフとか言ってるじじーやばばーがなんか趣味で絵を描く分には幸せだろう。そういう場合、普通にしてればいいのさ。そんなことを誰も責めたりしやしない。
才というのはその先に/あるいはそのはるか前にあるもんさね。
(‥ )だから言うのさ、絵を描く才があればそれを大事に。
花が見たくて泥にはまるのならその心を大事にってね。
∧∧
( ‥)・・・あなたにしては、らしくないこと言ってませんか?
まっとうと言うか・・・。
いやいやどうだろう? まともだ、普通だ、そんなもの知ったこっちゃない。
そんなこんなで先日のことを思い出した。何が信じられないって、いやはやイラストを描く人間が自分からまともでいたいと言うのですよ。いや、まいったまいった。異能の才を発露しようって人間が”まとも”だの”普通”だのだとさ。
∧∧
( ‥)普通なのは普通にいいことだと思いますけどね。
( ‥)普通に普通のことをやっているのなら問題ない。
だが普通以上の世界に普通のままでくるなんて自殺行為もいいとこだ。草野球をやっているのなら健康維持にいいに違いない。だがプロになるというのなら日曜日に練習しましょという”まとも”ではすまない。
(‥ )まともってのは平均的ってことであって異能でもないし
優秀でもないんだよ。実際、我々自身が普通の人間や
普通の才を評価しないぞ? 草野球を見るのに金を
払うか???
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( ‥)まあ、払わないでしょうね。
そもそも普通の人間からして普通であることを評価したりはしない。少なくとも積極的には評価しない。実際、まともに仕事ができるからといって、「ああ、あなた普通ですねえ、いいですねえ」とか「あなた平均的ですね、すばらしい」なんてほめられたりはしない。
( ‥)まともな人間やまともな能力は評価に値せん。
それは基本的なスペックだからだ。
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( ‥)まあそうかもしれませんね。
車は走る、冷蔵庫は冷えるみたいなもんで。
ましてや、まともな絵描き、普通の絵描きだあ? だめだよそんなんじゃあ。
(‥ )だから言ったのさ。その才があるのなら
それを大事にしろってね。それは望んでも
手に入れられない貴重な力だ。
∧∧
( ‥)やっぱり、あなたにしちゃあずいぶん人間らしいことを言ってますよね?