昔、こんな人がいた。Aという動物はY目に所属する。なぜならY目は形質Qを持つものと定義されており、Aは形質Qを持つからである。AがW目に所属するというたわ言をほざく人もいるが、それは間違いである。なぜならAはY目に分類されており、W目に分類される形質を持っていないからである。
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( ‥)はあ、これ、何をいっているんですか?
(‥ )矛盾のない文章を述べてみましたってことなんじゃね?
事実、以上の文章に矛盾はない。
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( ‥)でも形質Qを持つものがなんでY目であると定義されるのか、
そのなぜを説明していないじゃないですか。
(‥ )説明できないんだろ。というか知らないんだろ。
いや、分類的な意味なら以上の説明でもいいかもしれない。定義した、そして矛盾のない文章を作った。それで十分であって、”定義自身の正当性”を述べる必要性は確かにない。
( ‥)分類って言うのはそれでもいいのだ。
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( ‥)はあ、そんなもんですかね?
それじゃいやだっていう人はどうしたかというと系統学の世界にいってしまったわけだし。分類学における目や科や属や種がどのようにして判断されて、いかなる解析で、いかなる数値の時に、いかなる理由で目である、そう決定する方法を述べた人はどうもいない。あるいはこう。そういう試みはいっぱいあったとしても、どれもメジャーにならなかった。
例えばの話、テタヌーラの分類階級は何?何?と聞く人に、そんなものはないですよ、と答えると、なぜなぜ? と聞かれるが、ああ、下目ですよ、と嘘教えると、そうですかと何の疑問も持たないらしい。奇怪といえば奇怪な反応だけども、当たり前といえば当たり前。
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( ‥)なんで?
(‥ )図書館で本を手にしてうろうろしている人に
その本をいれる書棚はどこどこですよ
といったら安心するだろ?
本を突っ込んで整理できたら、はーやれやれと安心して満足するのであって、その書棚の配置そのものの正当性は何だ? とは問いはしない(普通の人間はそんなこと考えない)。
( ‥)世界を美しく記述できて、それで幸せに
なれるのなら、それで満足なんだろ。
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( ‥)はあ、じゃあ世界の謎はどうするんですか?
世界の謎、そんなものは彼らにとってどうでもいいってことですよね、明らかに。そして謎を問うのが自然科学であるのなら、本を整理してやれやれと幸せになるのは科学でもなんでもない。