自己紹介

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2009年10月28日水曜日

枠組みを使う時と捨てる時

 
 人間は物事を把握する時、なんらかの枠組みなり仮説なり、暫定的な考えなりなんなりを必要とする。

 例えば、自分は今、実在していて、今見ているこの風景はバーチャル映像でもなければ幻でもなく、悪魔が見せている夢でもない。という前提。

 ∧∧
( ‥)まあ、当たり前ですけどね。

    (‥ )だが困ったかな。世の中にはこれは夢ではないかと
        疑う人や、端から見ていると幻覚みているんじゃね?
        という人も時としている。これもまた事実。

 この世のすべて、観測するものすべてが取りあえず現実だってのはあくまで仮定なり仮説であって、別に確固たる真実ではないということ。あるいは確固たる真実であると仮定しても、それとは矛盾する状況が観測され、世の中で観測されていることのすべてが事実であるわけではどうもないっぽいという話。

 さて

 オレ様鳥進化論。色々な人がいるのですよ。古今東西、ハイルマンからしてそうだろうし、教授もそうだ。本を書いている人間(英文)だけでも他に少なくとも2〜3名はいるし、ネットで考えを表明したとか、雑誌に(論文ではなく)記事を書いた人までいれたらこれがもういっぱいいる。

 ∧∧
( ‥)まあ、どれも全部が全部駄目ってわけじゃないですよね。

    (‥ )そりゃあそうだ。

 全部の発言が全部駄目なんてそんなことあるわけない。例えばフェデューシア教授だって、系統関係はめちゃくちゃだが、引用できる部分も当然ある。フェデューシア教授の系統仮説を鼻にもかけない人だってそこだけはしばしば引用していることがある。教授にとっては不本意なのか、関係ないのか知らないが。

 ∧∧
( ‥)あなたも教授のあの部分は引用しますよね。

    (‥ )するね。そりゃあそうなんだ。

 だいたい、考え方の一部が間違っているからといって、相手の業績のすべてを全否定する奴は、まあ、まともなやつならそんなことはしない。いかに神の設計に基づいて研究を築き上げてもリチャード・オーウェンは偉大な解剖学者であり、錬金術師で神的宇宙観をもって世界を記述してもニュートンの万有引力は使える。

 ∧∧
( ‥)オレ様鳥進化論の人々だって
    全部が間違いじゃないでしょ?

    (‥ )そりゃあそうだ。

 例えば先日見たやつ。鳥の風切り羽は手首よりも先に生えているから鳥は木登りには手を使えないはずだ(あるいは制約を受けるはず)という意見は。

 ∧∧
( ‥)まあ、あの意見は初めて見ましたね。

    (‥ )イラストレーターと研究者以外ではね。

 *注:自力で飛行する動物は4回進化した。そのうち、脊椎動物の3グループ。翼竜、鳥、コウモリのうち、翼竜とコウモリは翼を畳んでもかぎ爪を持つ手の指が前を向くので、木に登るとした場合、それを効果的に使用することができる。一方、鳥は手首から先全体で風切り羽を支えているので、始祖鳥のように手にかぎ爪を残したものでも木に登ることに手は使えないのではないのか、ということ(少なくとも使いにくいにはまったくの事実だし、問題はこれだけではない)。

 まあねえ、そりゃあねえ、気づくよねえ。というか皆、もうとっくの昔に気づいているわけだし。

 ∧∧
( ‥)でも原始的な鳥が手を使って登る復元は
    今でも幾つかありますよね。

    (‥ )手も使って登っただろう。そういう仮定に基づくと
        そういう復元をせざるをえない、だから
        そういう風にしている。でもおかしいことには
        気づいている。まあ、矛盾ではあるな。

 ∧∧
( ‥)でもだとすると、なんというか吠える人もいるんじゃないですか?
    ほら見ろ、見ろ、矛盾だ、おかしい、変だって。

    (‥ )いるんじゃないか、というよりいたよね、知り合いで。
        まあ確かに変だからなあ。

 変なのは当たり前。そりゃ当然。変だからね。最低限、無理があるんじゃね? ということは言える。確かに鳥は時々、ずいぶんおかしなことをするけども、あれはちょっと無いんじゃねーの、とは思う。

 ただ、だからそんな仮説を棄却して、オレ様の仮説をチョイスしろ、と言うと問題が生じる。

 ∧∧
( ‥)私の仮説を選んでください。そう売り込みをかけても
    いいわけでしょ?

    (‥ )もちろん。少なくとも相手に迷惑をかけないような、
        まあ理想的には論文を書いて査読のある学術誌に
         可能ならば英語で投稿するというのはありだと思うよ。
         別に和文でも査読があってちゃんとしてれば問題ないと
         思うし。

 もっとも、これはあくまで手続き上の話。科学の中核であろう検証の話とか、採用している仮説の大転換が起きるためにはこういう事務の話ではなく、もっと別の要素が効いてくる。

 例えばの話。万有引力は水星の近日点の移動を説明できなかった。そこで色々な説明を試みる人がいた。事実、それらの仮説は矛盾を解消できたのだが、もろもろ有象無象の仮説はどれも支持されずじまい。結局、相対性理論が出るまでそのままだった。

 ∧∧
( ‥)使えることが分かっている仮説は矛盾を抱えていても
    そのまま使われ続けるわけですね。

    (‥ )だから”オレ様、その問題を解決できる!!”
        というセールストークだけでは誰も見向きしないのよ。

 人間がその枠組みを採用する時と、反対に捨てる時に何が起きているのか。そこんとこ理解しないとまあ、理論に明日はやってこない。

 ところで

 ∧∧
( ‥)あなた自身はさっきの問題をどう見るんです?

    (‥ )ああ。

 そもそも問題が存在しないんじゃねーの?

 


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