*の続き
そういえばふと思い出す。その人はよく新進気鋭の革新的かつ画期的な仮説や理論(だと本人が思い込んだもの)に飛びつく、
∧∧
( ‥)飛びつくのだけれども
( ‥)どういうわけか全部だめになるんだ
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理論をどう識別し数えるのかにもよるけども、6〜10個ぐらいぽしゃっている
∧∧
(‥ )理論の選別基準がおかしいのじゃ
\– ないですかね?
(‥ )定義、命題、論理、そんな基準じゃ
そりゃあ、おかしなことになるだろう。
現代科学というよりはアリストテレスや
プラトンぐらい時代錯誤と言うか
∧∧
( ‥)矛盾のない仮説、論理的でなんでも
説明できる理論
(‥ )そういう選択基準は間違っている
そういうことでもある
言い換えると、あの有様を見て、仮説の選択基準の妥当なあり方とはなにか? その把握に失敗するとやばい、ということはよく分かった。
*注:ただし例えばの話。把握に失敗する=サイエンスライターとして失敗する、では必ずしもない。豊富な知識を集めてありがちな勘違いを書けば、むしろ読者は”理解して”くれるし、満足もしてくれる。研究者も、相手が豊富な知識を持っていると、自分と同じように妥当解をちゃんとチョイスできると勘違いする場合があって(出来る人は出来ない人を根源的に理解できないということ)、なかなかこういう相手の危険には気づかないらしい。サイエンスライターや科学ジャーナリズムが呪われた存在であるのはこういうことが理由。
*大量多種の食材があっても料理の技術がなければどうにもならないように、豊富なデータと知識=妥当解の発見、ではない、ということ。