35を過ぎると急激に体力が落ち始めるが、本人はそのことにあまり気がつかない
∧∧
( ‥)なんでかと申しますと
( ‥)疲れた、めんどくさい
-□ そこで動作をやめるので、
”もう出来ない”という
現実に接触しない、というかね
ああ、やめとこ。ではなく、”これは出来ないから止めて”と体が言っている。
∧∧
( ‥)でも頭がそれを意識しない。というか
脳は計算して分かっているのに、
演算の表面に浮かんだ心はそれを
認識しないままって感じですかね
(‥ )そういう風に思えるけどね。
だからある時、心と意識が現実に直面すると、ぎょっとする。
∧∧
( ‥)体力ないと、論文、文献、資料に
眼を通さなくなりますからね
( ‥)なんだよお前ら脳みそ筋肉か?と
-□ 揶揄する人もいるかもしれないが
自然相手の科学は体力が基本よね
それに人間の脳みそは膨大なエネルギーを消費する、自然選択だけで考えると、これ、明らかにおかしくね? と疑惑の眼を向けられるくらい困った器官(*だから、大きな脳って性選択の結果だろ? という理屈もある)。
もちろん、考えるだけでもどうにかなる、そう言う人たちもいるが
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( ‥)体力が落ちている。疲れやすい。だのに
考え事でどうにかできるとはこれいかに?
(‥ )考え事も手抜きになっているんじゃね?
と言うがごとし。かな。
分かった、という枠内で考える。俺様が知っている範囲に無理矢理当てはめて考える。そうしていると、たぶん、消費エネルギーは最小か、あるいはそれに近似。たぶん。
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(‥ )頑固じじーとか頭が無駄に固いとか
\–
(‥ )それはもう、脳にエネルギーを
振り分けられない肉体が選んだ
苦肉の選択肢かもしれん
余力がなくて判断が手抜きになっている。
脳みそがささやくのだ。もう僕はほとんど動かないから、すべての事案はこのルーチンワーク回路にだけ回しますね、と。
∧∧
( ‥)もしニートのまま神に転生するのなら
(‥ )体力の維持は必須だろう。
それはおそらく、他のどんな人たちにとっても同じ。