公園でひなたぼっこをしつつ本を読むはずが、刈り取られ、すみっこに積まれたススキの束の上でそのまま寝てしまった。
なぜかそこで、どういうわけか今さらながら気がついた
∧∧
( ‥)なにを?
( ‥)漫画家が不眠不休の努力をして年4冊
-□ ライトノベル作家でさえ年4冊は多い方
しかし、経済評論家が書いた(と自称する)本だと、なんとこれが年13冊
*注:この話=>*
∧∧
( ‥)ようするに
(‥ )漫画やフィクションより、
ノンフィクションの方が書きやすいのな
∧∧
( ‥)まあ、極端な話、対談本なんておしゃべりして
それを書き起こせば基本良いわけですから
ノンフィクションは楽、を体現しているとも
言えますよねえ。
( ‥)ドラえもんで、イメージを
-□ 思い浮かべれば漫画原稿が上がる、
という夢のような道具があったけども
対談本ってほとんどそれに
近いよねえ。
というかノンフィクションというジャンル自体がその状況に近似、あるいはそれが出来る、ということだし、実際、出来ている。
思いついたことを書き散らし、名前で売り、さらにこれまで書いた自分の原稿をコピペしたり、あるいはそういう作業それ自体をゴーストライターに丸投げしてしまえば良い
∧∧
( ‥)漫画も集団作業だし、プロダクションという
いわば工場になれば、漫画家さんの
手を完全に離れることは可能ですが
(‥ )漫画家は工場を1から作って生産ラインを
建造してそれに至るわけだろ?
ノンフィクションはそれより楽にやれる
しかも、もっといい加減にそれが出来る
というのは、なお明白だ。
というかどうもラノベよりも楽、それも数倍楽に作っているということは、発刊可能速度から考えてほぼ間違いないだろう。
∧∧
( ‥)ノンフィクションにはストーリーが
必須でないし、絵もいらない。
ただ主張を書き散らかすだけならば
対談本以外でもやはり同様
( ‥)それ考えるとさあ、本を読むのが
-□ 知的活動って、あれはなんだろうな?