最近の案件のひとつ、これの続き*
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( ‥)どう?
( ‥)少なくともあれね、
-□ 手持ちの文献をざっくり
見た限り、4〜5世紀になると
帝国の人々に色々な制限や
責務が加えられたのは
確かみたいだ
後期ローマ帝国、というか、ローマ帝国からビザンチン帝国への移行期の話(もちろん、こんな区分を当時の人はしていなくて、ローマ帝国は1453年までローマ帝国だったのだけど)。
この時代は一般的にはドミナートゥス制が確立された時代、と呼ばれている。あるいは呼ばれていた、というべきか。なぜなら最近はこうした見解、衰亡するローマ帝国はそれを防ぐためにその末期に専制君主制になり、人々を法律でがんじがらめに縛り上げ、社会階層はほとんどカースト制度のように固定化され、人々に責務を強制する、強制国家になった、というかつてスタンダードだった見解、この見解に疑義が唱えられているから。
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( ‥)でも、地域によって違うけども、
-□ 場所によると一部の土地持ちが
土地のかなりの部分を支配して
小作農や出稼ぎ農民を使って
運営していたと、やはり最近の
文献にもありますね。
(‥ )奴隷はまだ残っていたけど
□- 少なくて、小作農の中には
土地に縛り付けられたコロヌス
まあ、農奴がいたと。
まあ、ようするにこういうのは事実なのだ(疑義もこれを否定しているわけではない)。ようするに大土地所有者がますます多くの土地を持つようになる一方で、農民が零落する傾向は確かにあったらしく、比較的安定した統治のもとで、勝利者と敗北者の格差が拡大した、ということらしい。
コロヌスは一応、自由民なんだけども、土地は貸し与えられたもので、それを耕作して地代を収め、その土地を放棄して勝手にどこかへいくことは許されない。またこの時代、法律の改正に従って、土地を売る時には、オプションとして、彼らは土地とワンセットで売られることになった(こういうことは前にも書いたし、これも理解としてはオッケーらしい)。
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(‥ )しかし最近は土地労働の形態が
\- 帝政前期と後期で大きく変化したとは
前提しない傾向がある、
そう、さる文献にはあるように、
このことは”過大に”評価しないのだと
(‥ )でも別の文献では納税者でもある
彼らや小作人が村から離れないように
どこにいるか把握しやすいように
色々な制限を加えた、という
記述もあるのよね。
零落傾向と制限があった、より多くの義務を負わされた、そうでないと帝国が成り立たない状況だった、それはまあ事実っぽい(異民族の侵入とペルシャ帝国との戦争で軍事費が非常に高くなったので)。
また、当時、都市の支配者は大変裕福な有力者であった。以前は、これが世襲に固定され、なおかつ徴税など、様々な責任と義務を負わされ、それが果たせないと自分で金を支払うはめになった、そうしたことが国家から強制された。このように後期ローマ帝国はいわばカースト化された社会だったと言われていた。
( ‥)しかし、カーストという言葉から
-□ 連想されるような、固定された
社会的地位、というものでは
なかったっぽいね。
世襲だけども、そこから官僚や
騎士身分、役人、医師などに
なろうとした人もいたらしいし
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( ‥)でも無償で色々な責務を負わされるから
-□ 大変だったみたいですよ。「多くの職務に
疲れ果てて」27歳で無くなったという
フィリップスさんなる人物、これって
過労死ですよね?
*「ディオクレティアヌスと四帝統治」文庫クセジュ ベルナール・レミィ 2010年(原著は1998年)のpp86 フィリップスさんは速記者で計算係で会計係だったそうだ。手につけた技能で寿命を縮めてしまった事例だろうか?
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( ‥)今のあなた方の社会も徴税のために
戸籍も住所も転出届けもありますし
世襲の有力者ではないけど、
選挙で選ばれた人と公務員が基本、
そこそこな給料で
義務を果たすわけですから
仕組みは違えども同じといえば
同じかもですよ
(‥ )確かにカーストというのは
□- たぶん、おそらく正しくない
だけども後期の帝国では
格差と義務が増大し、
人々の負荷が増えたってのは
どうも事実なんじゃないか?
そしてこの状況、今の我々からするとやはりあまり他人事とは思えない。
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( ‥)まあ、さらに文献を調べて
現在の研究動向とその解釈、
妥当性を把握する必要がありますね
( ‥)なんともねえ、本題でないけど
-□ 可能な限り状況を把握せざる
をえないよね。
実際、まだ一次文献には到達していないのである(当時の碑文や法律を直接読んだわけではない、という意味)