以前、種の起源を読むを書いた時に
∧∧
(‥ )生物学的種概念や断続平衡説は
\- なんで取り上げないの? みたいな
感想ありましたよね。
(‥ )あの時、ああ、距離があるなあ
と感じたのよな。
生物学的種概念。それ何の役に立つの?
断続平衡説。それであなたならどんな論文を書くの?
これらで一体何ができると思う?
∧∧
( ‥)意味ないから教える必要は
ないだろうと。
( ‥)逆に中立説をなんで取り上げないの?
-□ という意見がなかったのは興味深いね
ダーウィンと中立説の関係はなかなかに興味深い。一般的には中立説によって進化論はダーウィンを越えた、中立説こそ、ダーウィンの不完全さを表しているものだと考えられているっぽい。それを考えると、中立説の記述がないのは当たり前だと思われたのかもしれない(実際には手に負えないので意図的に抜いた、が正しい)。
∧∧
( ‥)まっ、あの時には手を出さずに
いましたが
(‥ )今度は可能かなあ?
□-
∧∧
( ‥)マニアックな本になると思う?
(‥ )どうだろうねえ?
□- マニアックな本にはなるけど
売れるのとはちと違うしね
ありきたりなものは必要ない。ある程度、特化したものが必要なものとなる。でも特化したものが、すべからく必要であるとは限らない。それに、
∧∧
(‥ )それに、必要性に特化しちゃう
\- そんなことも起こるのですよね
(‥ )一般的にはそれで問題ないけども
本の場合は読者の思い込みに特化して
心地の良い、でまかせになっちゃう
ことがあってね。
そうねえ、あの距離を思うと、
∧∧
( ‥)読者は無視した方が良いのでは
ないかと?
( ‥)ご要望を聞いて嘘まみれに
-□ なるよりはましだろうしね
実際、よほど根源的な機能に関わることでない限り、消費者の願いを聞いても、商品は大概ろくなものにならない。
理論を説明するのと、理論が形成された歴史を記述するのはまったく違う。理論を説明する時には必要なかった敗北した理論の紹介も、歴史を記述する時には、その敗北の過程と理由を説明することがむしろ必要になるだろう。
∧∧
(‥ )実際、断続平衡説は今、最前線で
\– 脚光を浴びている理論だ!! と
勘違いしている人もまだいるの
ですよねえ。
(‥ )ああいうの見るとな、
自分を科学好きとか思っている人とは
距離を置きたくなるのよな。
明らかに汚染されて、自分で自分を
是正できていない。つき合いきれん
というか、こんな状況を作ってしまったのがサイエンスライターとやらの罪というものか。先日も、そうそうたる研究者の面々に混ざって、馬鹿が進化論をトンデモ紹介している本があって、頭を抱えた。
そうさ、これが科学ジャーナリズムってやつの罪だよ。
研究者の皆さんもとっくにごぞんじでしょう? この世界にはお互いに何の関心も持たず、読む本も手にした情報もまるで違う、隔絶された人間集団が幾つも並立しており、しかも互いの存在をほとんど感知していない。