子供の本は大人が買う。子供のことを考えて買うし、作るし、売るからおかしな内容にはならない。だがしかし、いや、だからというべきか、子供はそんな本、読まない。
大人の本は大人が買う。自分の楽しみや、自分が分かる本を自分で買う。だから自分の能力以上の本に、自分からは手を出さない。大人は本をたくさん読むが、まったくの無意味だ。0をいくら積み重ねても、それはしょせん、0である。
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(‥ )まあ、占い、オカルトを除外しても
\- 子供向けの本にも大概なものが
混ざってますけどもね。
(‥ )それは編集が阿呆なのだ。
監修者を探したり、リサーチして
まっとうなライターを探せないと
そうなるのよ。
とはいえ、しかし、概してこんなものではないか? 中学の時、図書館には「流れる固体」があった。
∧∧
( ‥)でも、誰も図書館にはいかない
( ‥)おいちゃんだって、図書館には
-□ めったにいかなかったよ。
子供のために、と書いても
子供は読まないもんさ
では、大人は? と見てみると、固体が流れるなんてこと、ほとんど誰もしらない。だから「マントルが対流している」という耳学問から「対流しているのだから液体にちがいない」と勘違いする。本屋にはたくさんの人がいるが、しかし、レオロジーの本に手を出す人間なんてまずいない。
∧∧
( ‥)結局のところ?
(‥ )ためになる本は読みたくない、
自分が読める程度の本はために
ならない。無様だろ? これが
活字文化とやらの限界だ。