公園の黄色いチューリップを眺める。やはりこのチューリップの萼には細かい平行脈のバンドの真ん中に比較的太い脈がある。
∧∧
(‥ )でも、花弁は細かい平行脈があまり目立ちませんよ。
\-
(‥ )一応、形態から識別は可能といって
いいみたいだな。
つまりこんな
A:萼は細かい平行脈のバンドがあり、中央の脈は細く末端まで届かない
B:萼は細かい平行脈のバンドがあり、中央の脈は細く末端まで届く
C:萼は細かい平行脈のバンドが密にあり、中央の脈は比較的ふとくて識別できて、末端まで届く
∧∧
( ‥)品種や色によって萼はこういう状態で、
変異には以上のような幅があると。
(‥ )それでも花弁の変異というか、そのぶれの
幅の中に萼は今のところ入ってこないというかね。
だから「この特徴に注目すればチューリップの萼と花弁は見分けがつくんじゃないの?」仮説は取りあえず捨てる必要がない。と、思う。
∧∧
( ‥)だから現時点ではこの仮説を便利で使える仮説として
採用していると。
(‥ )恐ろしく乱暴に翻訳(むしろ誤訳か?)すると
そう信じているってやつだな。
だが、こんな風に比較したらどう?
:チューリップの萼と花弁は相互の相対的な位置、雌しべから見た配置で決定され、以上に取り上げた特徴はそれと明らかに相関して分布する(萼とされるものには平行脈がうんぬん/花弁とされるものには3本の目立つ脈がある/分布する、という意味)
:人間の性格やふるまい、挙動は血液型と相関して分布する
∧∧
( ‥)言っていることは同じですね。
(‥ )そうねえ、やや露骨な言い方をすれば
人間の二次性徴は男女それぞれに相関して分布する
というのと同じだね。
*ようするに、このコンテンツの内容はこれの続きです→hilihiliのhilihili: 萼と花弁
確かに形式は同じだし、形式それ自体は論ずるべきことでは取りあえずなさそう。
問題は、じゃあ、これらの仮説は全部、どれも同等であると言ってよいか? 言ってよいとするのならその理由の妥当性は何か? 言ってはいけないのならその理由と根拠の妥当性をどう示す? ということでありまして。
∧∧
( ‥)どう?
(‥ )ああ、単純に計測しやすいか、しにくいか
基準が比較的はっきりしているか、していないか
それじゃね?
人間の二次性徴は男女それぞれに偏って分布する、というのは例えばヒゲの有無を見れば分かる。
∧∧
( ‥)女性でもうっすら生える人もいれば、男性で
ほとんどヒゲなしの人もいますよね?
(‥ )とはいえ、この特徴の分布は調べた限りでは、例えば
1000人中、男性998人。女性2人でした、という
偏った分布を示すだろ。
それなら因果関係があると考えていいんじゃないすか、取りあえず。
∧∧
( ‥)おヒゲの有無の識別はどうします?
(‥ )例えば0〜1000本まで、100づつにわけて
A〜Jまでに区分けして、そこに計測した男女を
割り振ればいい。
ヒゲの数における男女の分布はものすごく偏ったものになるだろう。
チューリップの特徴も計測しやすいものと思う。平行脈に対して他の脈は花弁や萼の縁から始まり、カーブして合流する。
∧∧
( ‥)考えてみれば脈のそういう構造ってトポロジーの
話なんでしょうね。
(‥ )だろうね。
形も比較的単純だし、どこが平行脈のバンドであるか分かりやすいし、数もカウントしやすい(ルーペでできる)、太さだってざっくりとは可能だよな。極端に言えば3本の脈の相対的な太さを見ればいいんだから。
(‥ )つまりチューリップの萼と花弁も男女のヒゲの有無も
計測しやすいし、相関関係を見やすいわけだよね。
つまり、もし間違っているのなら仮説を否定しやすい。
しかるに現時点では反証的な事例が出てこない/あるいは仮説を捨てる程には出てこない、とすれば、仮説を捨てる理由は積極的には見つからない。
∧∧
( ‥)逆に血液型占いは・・・
(‥ )相関うんぬん以前に、どう計測するの?
が問題になるよね。
几帳面とマイペースが血液型と相関関係にあることを、計測して論証せよ、と言われたらどうするね?
∧∧
( ‥)几帳面とマイペースってどう計測すればいいんでしょうねえ?
(‥ )さあ?
こういう場合はこう言えそう。
どう計測すればいいのか分からない場合、仮説を支持するうんぬん以前に、仮説を捨てるような自体が起こりうるのだろうか?
ならば、
血液型と性格が相関するという仮説を”捨てない理由”の正当性はどこにある?
∧∧
( ‥)仮説が成り立つのか? もさることながら
(‥ )捨てる状況が起きない構造なら”捨てる理由がない”と
主張することさえできないんじゃないのかって
ことだね。
採用する積極的な理由がなく、棄却する積極的な理由を持つ事すらできないとすれば、持つ正当性も、捨てない正当性も成り立たない。