本を書く時にはそれはそれは幾つもの方法や文体があるものだけど。
∧∧
( ‥)分かりやすく書くために
例えば正確さを犠牲にしたり、
(‥ )最悪の場合、皆が誤解しやすい形式で
説明してしまうという手もある。
一番、みんなが分かりやすい説明というのはですね、思うにそれは「皆が一番誤解しやすい事柄(嘘を含む)を書く事」なんですよ、おそらく。
売れるライターになりたいのなら、誰もが犯しやすい誤解を自らして(天然ボケだとより効果的)、誰もがしてしまう勘違いを書いてしまう人になればいい。そうすれば読者と一緒に閉鎖された水滴の中に閉じていける。
∧∧
( ‥)理解した=理解が妥当、ではないですからね。
(‥ )鵜呑みにできる嘘は”より正確で妥当な説明”よりも
皆が理解できる(できたと思い込む)からなあ。
あるいはこう?
鵜呑みにしやすい嘘、間違い、思い込み、価値観、これらは理解できたと思い込む人の数を最大かそれに準じる規模にまで拡大できるツール。
しかし悲しいかな、理解しやすい、分かりやすい。そんなもの、何の免罪符にも何の保証にもなりゃあしない。
分かった、理解した、そんな確信はある意味ではたわ言で、それではジンバブエドルと区別ができぬ。
∧∧
( ‥)以上の対極となる説明の仕方もまたあるんですよね。
(‥ )例えばこんな
パーツとざっとした設計図が示されていて、それにそって正しく組み上げた回路で本全体を見渡すと、どうやらそこで初めて答えが読めてくる、たぶんそんな内容。
∧∧
( ‥)あなたに言わせると、例えばこれですか
-□ → 分類思考の世界
(‥ )こういう書き方はある意味であこがれでね。
ライターがこの書き方をしたら、相当練り上げないと売れる内容にならないと思う。そうなんだよねえ、自分は文献の読み込みが足りないんすよ。そして練り上げたところで、なんか面白いように思えるけども、難解でよく分かりませんでした、で終わるのよ。
∧∧
(‥ )でもこちらの本であってもそういう評価をする人が
\- いらっしゃるようですが・・・・
(‥ )今時の新書は読み捨てだからな。
読者に考える事を強いる本は敬遠されるんよね。
そろそろグラビアアイドルの水着ページがついた新書とか表紙を飾る新書が出てくるんじゃないかな? あるいは袋とじ付きの新書とか。
∧∧
( ‥)末期ですね・・・
(‥ )末期なんだよ。
読書しているって人のほとんどがもはや体力のない老人も同然なのか、それともあれだろうか、出版界の肥大化した市場が縮小し始めた時、これまでと同様に売り続けようとした努力の展開がこんな世界なのかもしれぬ。あるいは最初からそうだったのかもしれない。
∧∧
( ‥)ともあれ、あなたはこの本をどう読みます?
-□
(‥ )脱出できない閉鎖した世界で
同じダンスを踊る人々の物語。
分類とは何か? という問いと答えの争いはいつもいつも同じ場面に戻ってきてデジャブに襲われる。
これと同じことを前にも目にしたことがある。いつかどこかでこれと同じことを叫んでいる。前にもこれと同じ事があったはずなのに思い出せない。繰り返したことすら忘れている。何か大事で致命的なピースが抜けている。疑心暗鬼に襲われていると、相手がなんとも言えない表情を浮かべてこんな風に言う。
「同じ事を言った君が前にもいたよ」
∧∧
( ‥)しかもおっかないことには
( ‥)この本のネットにおける(疑問符的な?)書評を
-/ 見るとさ、どれもこれもそのネタ、
前にもやりましたなんだよな。
意思疎通に使えるがゆえにホッケが実在すると言うのであれば、悪霊やジーニーも実在するのだろう。理解に役立つ概念だから存在するというのであれば、熱素やフロギストンや天球やエーテルも実在するんだろう。優劣を自らほこっているはずなのに、ではなぜ優劣の基準が存在しない? パラメーターはどこにある??
書評ってきっと客観的なものでもなんでもない。本を自分の外にある第三者だと思って得意げに書評しているはずなのに、実はそのネタ前にもやりました。
∧∧
( ‥)書評しているはずなのに、本で描写されている
人々の一員にいつのまにかなっているのです。
(‥ )怖いよね。
そのネタ前にもやりました。でもきっと同じネタをどこかの誰かがやるだろう。皆が本を笑うけど、笑った本人が笑った本の中にいる。そして誰も脱出できない。
抜け出せない。出口はどこだ?