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2009年9月5日土曜日

どうも勝ったっぽい

 
 くだんのOさんが例の界隈に関して色々と書いてるからなんじゃらほいと思っていたら、

   ( ‥) 探し物の最中に引っかかってきたよ
     -/  ああ、なるほど、こういうことか。
 ∧∧
( ‥)なんか色々と書かれていたんですね。

 まあ、自分のことに関していうと、どうやら勝ったっぽい。情報を相手の望まない形式で書けばそれはどうなるか? 情報を血液とするのならば、それは相手の壊死を引き起こす。

 ∧∧
( ‥)壊死したくない人はどうするんですか?

   (‥ )自分で論文読むだろ?

 あるいは最低でも参考文献に眼を通す。鵜呑みにしたくないのなら論文を読むか、大学教官の書いた啓蒙書なり、教科書に眼を通すだろう。分かるやつってのはそういうもので、自力で分からんやつに教えたって理解はしない。せめて「生物系統学」とか「系統分類学」とか「分岐分類学入門」とか読めばいいのに。

 ∧∧
( ‥)それ、基本中の基本でしょ?

   (‥ )しかり。

 最低限、この手の本を読まずに恐竜だの系統だの古代の進化の歴史を探るだの、分類と系統の対立を語るだの、なんじゃそりゃ? エンジンの仕組みを知らずして自動車のうんちくを語るもそれは同じ。「系統樹思考の世界」も読めばいいのに(ちなみにこの本のネット上にあった書評で、個々は面白いのにまとまりきれてないってものがあったのには笑った。この本がどんな本なのかわかってねーんじゃねーの?と思う)。

 それにしてもあれだ、またぞろだ。


   ( ‥)中途半端に考えるから鵜呑みにする人たちよりも
       おバカな結論に飛びついちゃったり、
       俺様理論を考えたりするんだよ。
 ∧∧
( ‥)あなたが前に言っていたA、B、C群ってやつですか。

 *人間の知性なり読解力なりが平均値からどう分布するのかを考えると、(平均以下は読書対象から便宜的に排除する)、この場合、鵜呑みにする人が一番多く、考える人は少なく、考えて正しい答えにたどり着ける人はさらに少ない(正規分布するとでも言えばいいの?)。それらを近似値としてA、B、Cに分けると、鵜呑みにするA群が読者対象として一番多いので、A群相手に”鵜呑みにしても害のない形に加工した情報”を売るべき、という基本方針。そしてそれが基づく仮説。

 ∧∧
( ‥)詳しい内容の本は・・・

    (‥ )C群(考えて正しい答えに自力でたどり着ける人間)を
        読者対象にする場合、市場が小さすぎるし、
        そもそもすでに教科書が書かれている。
        ライターが手を出すジャンルじゃないね。
        だいたい、自力で答えを探索できる能力者に
        地図を売りつけるなんて馬鹿げているからな。

 そして考えるけども妥当な答えに自力ではたどり着けないB群。B群は市場としてはC群よりも大きいことは大きいが、経済活動の対象になるほど大きくない。そういうわけでこれらを読者対象とすることは却下。

 まあそのなんだ、Oさんは”いかに考えるべきか”を情報発信してもあそこの界隈にパラダイムシフトが起きないというけども、それは当然。科学者の世界”でさえ”パラダイムシフトは転向ではなく、世代交代(ようするに人が死ぬこと)で起きたという経緯があるわけで、

 ∧∧
( ‥)C群でさえ時にできないことを、B群にしなさいって
    それはいくらなんでも無茶ですよねえ。

    (‥ )例えばの話、トンデモがまともな仮説に転向した事例なんか
        聞いたことないしな。
 
 ようするに死ぬのを待つしかないわけだ。人間が死ぬのはすばらしい。さもないと我々は全滅していただろう。

 ∧∧
( ‥)でっ、そういう前提に基づく選択肢のひとつが
    情報を与えないってことですか。

    (‥ )情報を中途半端に、しかも相手の望まない形で与えれば
        血液がいかなくなって壊死する組織も同じ。

 もし、彼の人がC群なら、この状況下でも自力で答えを探索し、そして妥当な結論に到達するだろう。教科書を読み、英語の辞書を引き、論文を読むだろう。最低でも大学教官の書いた啓蒙書を読むだろう。その参考文献を探るだろう。理系に限らず、まともな学生以上なら誰でも発揮する能力だ。

    ( ‥)もちろん当然wikiになんか頼らんさ。
 ∧∧
( ‥)まあ、少なくともwiki止まりではないでしょうね。

 だが、もし彼の人がB群なら自力では答えにたどり着けないだろう。そのへんの啓蒙書と称するわけわからん本を読み、教科書を読まず、論文を読まず、人の意見を聞かず、科学者が採用しているパラダイムを知ろうともしないで、そして俺様理論を考えつくだろう。

 ルイセンコ派は死ぬまで意見を変えられなかった。プレートテクトニクスに反対した人々もそうだった。分岐学や系統学に反対する人々もそうだろう。彼らは最後まで分類階級にこだわるだろうし、それに関する議論を知ろうとさえしないだろう。その議論がもうほとんど終わってしまっていることも知らないだろう。それともフェデューシア教授みたいになりたいかい?

    (‥ )だから情報的に死ぬのを待つしかないのさ。
 ∧∧
( ‥)でっ、それはいいとしてこれからどうするんです?

 次の世代のA群に引き継ごう。ただ、それはもう恐竜じゃない。残念なことだ。壊死した組織に代わるものなんてでてきやしない。それは悲しいことだ。夢がゆっくりとしぼんで枯れ果てていくのを見るのは、それはそれは無惨なことだ、そう思う。



追記:後、大股開きね。あちきもね、最初はそう思って頭抱えていましたよ。もう何年も前の話であるが。

 ∧ ∧
(  ̄  ̄)見も知らない人の家に死体を隠すのは
      もうやめてくださいよ。

      (‥ )なんかそういうと物騒に聞こえるよねえ。

 
 

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