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2014年12月7日日曜日

違いを強調するオタクは科学には向かない

 
 同じに見えますがここが違いますよね
 
 厳密に区別したがるのがオタク
 
 ∧∧
(‥ )だそうです
\‐
 
   (‥ )....それは衝撃の内容だな
 
 
 確かに、思い当たる節がある。例えばある人の例を上げて見る。
 
 そのライターさんは人類の多地域起源説にご執心であった。
 
 ∧∧
( ‥)多地域起源説
    例えばネアンデルタール人から
    西欧人が
    北京原人からアジア人が
    進化した
    そういう考えだよね
 
   ( ‥)考えてみれば
     ‐□ ずいぶんおかしな発想
       なのだけどね
 
 現代人は全部ホモ・サピエンスで同一種だ。
 
 だが祖先はそれぞれ別種である
 
 人類の多地域起源説とはそういう考えなので、奇妙きてれつな発想だとも言える。人種の違いを過大に強調した考えだとも言えるが、今では支持されていない。あるいは、それこそ見つかる化石人骨の相違点を強調しすぎた例かもしれない。
 
 ∧∧
(‥ )先の人は鳥も多起源だと
\‐  主張していたんだっけ
 
  (‥ )言っていたな
      初期の鳥には関節の構造に
      ほんの些細な違いを
      持つものがいてな
      それは現在の鳥とは
      まったく別系統だ
      彼はそう信じ込んでいた
 
 これも支持されていない考えである。彼には他にもそういう話が幾つもあった。確かにこれは、”相違点を強調する”という考えが、彼の発想の根幹にあったということなのだろう。そして彼は、確かにオタクであった。
 
 
 ∧∧
( ‥)オタクだから
    違いを強調する
    だからそうなったと?
 
  ( ‥)確かにそう見えるね...
    ‐□
 
 そういえば彼は分類学は好きだったが、系統学は嫌いだった。
 
 これも整合的ではある。分類はしばしば相違点を強調する。反対に系統学は祖先の共有に注目する。分類はオタク的だが、系統学はむしろオタクと相容れない。
 
 ∧∧
(‥ )相違点を強調するオタクは
\‐  分類学と相性は良いが
    系統学とは相性が悪い?
 
  (‥ )知識オタクには分類学が
      必要だけども
      系統学は天敵だからね
 
 知識をひけらかしたい人にとって、分類学は必須だ。分類は知識を整理整頓するための体系だからである。分類学は知識の宮殿を築き上げる時に必須だとも言える。
 
 そういえば彼は分類体系と分類階級を使うのが大好きだった。
 
 しかしこの意味において、系統学はオタクにとって天敵だと言える。系統学は知識の宮殿を築いたりはしない。そこにあるのは科学そのもの、仮説の発見と検証である。
 
 ∧∧
(‥ )系統学の”体系”は検証すべき
\‐  仮説であって
    破壊の対象だからね
 
  (‥ )そういえば先の人も
      言っていたよ
      系統学は
      それを信じて覚えても
      すぐ変わる
      すぐ裏切るってな
 
 もちろん、これは致命的な勘違いだ。系統学が生み出す仮説はデータを説明するためのグラフである。
 
 そのグラフを暗記するとは...それはおかしかろう。そんなことをするのは勘違い馬鹿だけではないのか?
 
 例えば会社の業績を示すグラフを暗記するだろうか?
 
 会社の業績を示すグラフは、これまでの結果を説明する仮説であり公式でもある。
 
 ∧∧
( ‥)グラフは
    右肩上がりなんで
    来年の業績はこうかな?
    そう予測することができる
 
  (‥ )来期に入ってグラフの
      延長が実際とずれたら
      下方修正しなければいかん
      そして何がこの傾きを
      決定しているのか
      それを探らねば
      会社は破滅だ
 
 こういう時に、
 
 グラフを信じたのに、グラフを覚えたのに、何でグラフが変っちゃうの? グラフなんて信じなければ良かった! 
 
 そう叫ぶ奴がいたら、それはそいつが底抜けの馬鹿なのであり、グラフがおかしいわけではないだろう。他に言い様など無かろう。
 
 ∧∧
(‥ )分岐学もころころ変るから
\‐  信用できないぴょん とか
    言う人いるよね
 
  (‥ )それも馬鹿丸出しだな
      グラフを見ると
      ころころ変る部分と
      頑強な部分がある
      だんだんぶれが収束する
      部分もある
      そこを見なければいかん
 
 なんでもそうなのである。データが増えるに従って理解のぶれが無くなっていくのは普通の話だ(*ただし言っておくが増やせば良い、というものではない。実は状況によってはデータの数を増やせば増やすほど確実に答えが間違う)。
 
 訳が分からないよー! というのは観察力のない間抜けの泣き言でしかない。論ずる価値などない。負け犬のたわ言だ。
 
 いやだろうが、なんだろうが、直視しなければ駄目なことがある。そんなこと、誰でも学校でさんざん思い知らされたではないか。逃げたらどうなったか、それも思い知らされたことではなかったか?
 
 逃げたらもう、何を言っても負け犬なのだということは、誰でも経験したことではなかったか? 舞台から降りたら、役者でも登場人物でも、脇役でさえいられない。当たり前だがそうではなかったか?
 
 ∧∧
(‥ )系統学は検証を重んじる
\‐  検証のために破壊する
    しかし知識をひけらかしたく
    そのために暗記をしたくて
    違いを強調するオタクの彼には
    それが絶望に見えた
 
  (‥ )違いを強調するオタクは
      科学に向かないかもな
 
 そもそも異なる現象の背景にある共通点、それを支配する力や法則性、因果関係、祖先子孫関係、それを探り出すのが科学であった。
 
 相違点を強調するのがオタクだというのなら、オタクは科学には向かないだろう。
 
 ∧∧
( ‥)でもオタクな科学者って
    いっぱいいるよね
 
  (‥ )方向性の問題じゃね?
 
 例えばオタクという言葉は、無価値なことに執着を示す人間を指す場合もある。
 
 一方、以上今まで述べてきたオタクとは、知識の量をひけらかし、相違点を強調する人のことであった。
 
 そういう人は自慢に固執し、自慢のための知識の量に固執し、暗記するための分類に執着しているだけだ。つまり、理解に執着していないのである。つまり理解の検証をしていないのである。
 
 そこにあるのは膨大な思い込みである。こう考えれば思い当たる節もあろう。
 
 だが理解そのものに執着を持つ人間が解明に向けて邁進すればどうなるか? 自分の理解が正しいのかどうか、その確認それ自体に執着する人間が突き進んだらどうなるか? その時にこそ道が開かれるのかもしれぬ。そしてそこには共通点を探る考えがあるだろう。そこにあるのは相違点ではない。
 
 


 

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