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2014年12月12日金曜日

下劣なのはお互い様だよね

 
 ∧∧
( ‥)例えばの話
 
  ( ‥)そうねえ
    ‐□ 例えばの話
 
 大雑把に言うと半世紀あまり前、マルクス主義が流行った時代。彼らはソビエト政権下のロシアで流行ったルイセンコ農法を賛美した(ヤロビ農法という言い方もある)。獲得形質を認めるルイセンコはマルクス主義的で正しい、獲得形質を認めない現代遺伝学はマルクス主義的ではなく、したがって反動的であり、資本主義的であり間違っている、ありえない、そう説いた。彼らのアジるような文章は現代遺伝学に対する罵詈雑言と誹謗中傷、人格否定で埋まっている。
 
 反動的
 
 マルクス主義において歴史は一歩方向に発展するものであり、流れが決まっていた。何がどう発展するのか? それはすべてマルクスとその理論によって示されていた。その予言に賛成しないものは”予言の成就を妨害する悪人”であり、歴史の流れに逆らう愚か者であった。
 
 ∧∧
(‥ )それが”反動的”という言葉が
\‐  指し示す内容であったと
 
  (‥ )まあ、自分たちに
      反対する人間は悪魔だ
      そういう考えだね
 
 また、彼らがしばしば主張したのは、多数決は間違っているという主張であった。彼らの立場からすれば当然の考えである。
 
 次に何が起こるのか、それを示すのは理論であって、その理論の奥義を究めているのは自分たちである。もちろん、奥義を極めた賢い人間はごく少数である。なれば自分たちだけが意思決定を行えば良いではないか。次に何が起こるのかはすでに決まっているのであるのなら、それを理解できる人間だけが決定すれば良い。多数決に審議をはかったとて、それは次に起こることを先延ばしにするだけである。
 
 事実、マルクス主義の国家はすべて少数独裁制になったが、それは当然だろう。左派にとって選挙とは、反動的で無駄な行為でしかなかった、そう言えば分かりやすいかもしれない。
 
 これは他人の話を聞かないし、聞く必要が無いと思っているし、他人を見下しているし、他人の権利を奪って自分たちだけのものにしよう、そういうことである。そして事実、それを行った。事実、少数独裁制である。
 
 ∧∧
( ‥)以上を踏まえると
 
  ( ‥)マルクス主義者....
    ‐□ これは左翼と
      ほぼ同一視されるし
      歴史的にそうだったけど
 
 左翼はしばしば言う。
 
 右翼は愚かだ、排外主義だ、他人の権利を認めていない、利己主義者の塊、下品で下劣なヘイトスピーチを行う奴らだ
 
 彼らはそう言うのだが、結局、やっていることは左派も同じである。
 
 というか、同じになるのが当たり前なのだ。だって同じ人間なんだから。
 
 ハードウェアが共通なのである。なにをどうしようが肉体からは自由になれない。そうである以上、心も同じだし、その出力も同じになるのが当然であろう。
 
 人間ならば自分と違うものを排除するのが当然である。よそ者を皆でリンチするのはどこの世界でも起こる。当たり前なのだ。
 
 他人の権利を認めないのも当然だ。相手を殺せば相手の資源は自分のものにできる。得になるのならそうするのが当然である。
 
 それは利己主義である。だがしかし、この利己主義こそが共同体を安定させる。みなが利己主義者である限り、お互いに相互監視が働くようになる。よそ者は殺せ。それは当然だ。しかし裏切り者も殺せ。それも当然だ。そうである以上、相互監視とリンチという圧力によって”礼節”と”道徳”と”倫理”が生まれてくる。

 言い換えれば、自分たち以外の相手に対して、人は徹底的に下劣であり下品であるし、そうでなければならない。相互監視があるから文化人でいられるのなら、そうでない相手に対して下劣になるのは道理。実際、右派も左派も相手に対してはどっちも言い様が下劣だ。
 
 ∧∧
(‥ )でも右翼と左翼は
\‐  表現が違うよね
 
  (‥ )右派は一般的に
      地縁と血縁だな
      昔ながらの共同体と
      助け合いの世界だ
      左派はマルクス主義だから
      イデオロギーの共同体
      つまり宗教団体だよね
      そりゃあ表現は違うだろ
      同じになるわけがない
 
 右翼も左翼も理想論を掲げる。ただ、右翼が人間本来の地金の部分を過度に理想化して祭り上げるのに対して、左翼は秘技を練り込んだ宗教団体としての用語を使うので、無駄に貴族的になっている。
 
 ”反動的”

 このもったいぶった単語を罵倒として使う時点で、かなりいかれているのだ。最悪の意味でオタクなのだと言っても良いだろう。
 
 人間の地金の部分。暑い気候に適応して薄着と 肌を見せて若さを誇る人々を、下品と笑う人間はいる。だが、笑われた人は笑った人間のめかしこんだ辛気くさい、気取った姿をこそ下劣と見なすであろう。
 
 かように、文化が違うと出力が同じでも、その形式と表現が違う。裏切り者を排除せよ! そう絶叫する右派を左派は下品と言う。だがしかし、反対する人々を反動的などという高慢ちきでもったいぶった言葉で切って捨てた左派は、部外者からすれば品性下劣以外の何ものでもない。
 
 実際、ルイセンコがソビエトで失脚した時、あれほどルイセンコをたたえていた日本のマルクス主義者たちは手のひらを返したように賞賛をやめた。さりとて言葉の限り罵倒していた日本の遺伝学者や農学者に対して、私たちが間違っていた、そう謝罪することもしなかった。なにもなかったことにしたのである。
 
 これを下劣と言わずになんと言おうか?
 
 そしてマルクス主義が失敗した以上、結果は明白であった。他人を助けられない左派に勝ち目はない。
 
 ∧∧
(‥ )キリスト教や
\‐  イスラームのように 
    貧民救済に走るわけでもないし
 
  (‥ )今は福祉があるし
      そして福祉で一番金を
      使っているのは老人で
      左派は世代交代できずに
      自分たちが老人という
      特権階級になっちゃった
      からなあ
 
 あれでもしも、私は全財産を若い人のために喜捨します。そういって身を投げ出したら話も変わるだろうが、残念。マルクス主義はそういう宗教ではなく、ザカートがあるわけでもない。次世代を育てることに失敗した福祉は破綻しかかっており、それと同様、世代交代に失敗した左派に未来はない。そして来るべき未来とは、宗教とイデオロギーと相互監視によって支配された義務の社会となろう。
 
 

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