マルサスの人口論
( ‥)あいもかわらず読んでます
-□
∧∧
( ‥)まだ読み終わってなかったんですか。
当時の英国ではすでに斉一主義的な考えが定着していたのかどうなのか、
現在、観測可能な事柄から推論することを否定したら、どんな物事も正当化できちゃうでしょ? それってやばくね?
という論法が出てくる。ああ、ごもっとも。とはいえ、こういう思考の延長線に進化理論があることを考えると、当たり前な論法であると同時に危険な論法でもある(教会による社会秩序の根幹をゆるがしかねないという点においては)。
そして、心がハッピーだと疲れはあまり感じないが、だからといって肉体の疲労が存在しないわけではない。というか疲労の度合いは同じじゃね? 翌日の体の痛みはオレの場合、同じだよ。という論法もでてくる。
∧∧
( ‥)人間が心の力で肉体の限界を突破できる
ようでいて、そんなことは不可能だという
主張を展開するために出されたものですね。
(‥ )これも当たり前の主張だな
□-
しかし、当たり前であるけども、ここから言えそうなことが少なくとも2つ。
マルサスは心身二元論で考えていたのだろうか。というか、魂は神の元へ還るという考えに基づけば、多分、そうでないとおかしい。たぶんそう。
その上で、マルサスは体が心に与える影響が大であることを示した。しかしそれって魂があるという立場からすると(その主張の動機も解釈もどうあれ)、究極的にはものすごくやばくね?(当時の英国としては)
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( ‥)究極的には魂は肉体の虚ろな反映にすぎない
ということになりますよね?
(‥ )これって、当時の英国では
□- どの程度、思想犯罪に相当するんだろう?
あまり相当しなかったのだろうか? たぶん、そうであろうとは思うけども。
あるいはそうは解釈されなかったということだろうか。
( ‥)例えばダーウィンの「種の起源」には
-□ アダムとエバが人類の祖であることを
露骨に否定したとしか思えない記述が
出てくるけど。
∧∧
( ‥)当時はどう認識されたんでしょうね?
一部の人はこれは過激だ!!と憤慨(あるいは賞賛)したんだろうか?
∧∧
( ‥)そもそもそう解釈されたんですかね?
(‥ )されていないかもしれない。
□- というか分からん。
ダーウィンは「種の起源」で人間に関してほとんど記述していない、彼は過激さを押さえたのだ、しばしばそう言われる。
しかしあの記述は、その日は雲ひとつなく太陽がそれに陰ることはありませんでしたが、日食がありました。という程度には過激だと思う。人間は獣から進化したと(あえて)言わなかった事柄と、人類の祖は1組のカップルではないでしょ、というのとどっちが過激だろうか。
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( ‥)どうなんでしょうね?
(‥ )さてなあ
謎である。