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2014年8月10日日曜日

それは絶望の叫び

 
 ∧∧
(‥ )強迫観念にかられて
\‐  生きたくはないと...
 
  (‥ )...ああ、言われれば
      そうだな
 
 というか、表面的以上にこれは重大な指摘なのかもしれぬ。そうも思う。
 
 
 ∧∧
( ‥)というか、
    これが指摘していることは
    人間とは強迫観念を持って
    生きる動物だ
    そういうことだよね...
 
  ( ‥)そう思えるよな
    ‐/
 
 
 強迫観念にかられて生きたくない、という叫びは、私たちの普段の行動、それ自体が合理的には説明できない、何かに関する非常に強い拘泥に基づいていること、これを示唆しているように聞こえる。
 
 ∧∧
( ‥)ひょっとしたら
    これこそが宗教を信じる
    特異な霊長類
    人類の本質かもしれぬと?
 
  (‥ )自分たち自身のことには
      無自覚なのだ
      自分たち自身では
      自分がよく理解できない
      だから思うな
      この叫びから
      気づけることがあると

 
 
 人類は宗教を信じる猿だ、というと、俺は神を信じていないぞ、そう、うそぶく者がいる。

 だがしかし、強迫観念にかられている猿、そう表現すればどうだ?
 
 ∧∧
( ‥)より普遍的
    かつ
    根源的になると
    無宗教であるとうそぶけても
    強迫観念を持たぬ人間など
    いないのだと

 
  ( ‥)投槍器ってさ
    ‐/ 構造は簡単だけど
       結構難しいのだよな

 アフリカから出たホモ・サピエンスは、ユーラシアの南からオーストラリアまではすみやかに到達できたけども、北へはいけなかった。
 
 ∧∧
(‥ )北方にいる
\‐  ネアンデルタール人に
    進出を妨げられた
    という解釈も
    あるのだと
 
  (‥ )接近戦において
      ネアンデルタール人は
      ホモ・サピエンスを
      圧倒出来るというからね
 
 これを打倒したのは槍をより遠くにとばすテコとして動作する道具、投槍器の発明だと言う人もいる。確かに、ホモ・サピエンスの北方進出開始とネアンデルタール人の絶滅はその発明以後だ。
 
 ∧∧
( ‥)投槍器は、構造自体は
    単純なんだけどね
 
  ( ‥)でもさ、これが扱うの
    ‐/ 難しいんだよな
 
 作るのも簡単なんだけども、それがちゃんと飛ばせるものになっているのか、ちゃんと飛ばすにはどうすれば良いのか、そこには試行錯誤と訓練が必要だ。しかしそれ以上に
 
 ∧∧
( ‥)こんなことに時間を
    かけるのは
    強迫観念にかられた奴
    だけだと
 
  (‥ )あの発明は
      合理性だけでは
      説明できないと
      思うのだけどね

 
 
 人類の大きな発明、弓と針も、合理性で到達できる発明なのか疑わしいように思える。そもそも枝に蔓を張って、それでものを飛ばそう、それを実用的な用途にかなうものにしよう、というのは発想も執着もかなりいかれているのではないだろうか。実際、あんなものを発明したのはホモ・サピエンスだけである。
 
 石器は人類以外の動物が道具を使うことの延長に見えるが、弓や投槍器はそうじゃないだろう。
 
 ∧∧
(‥ )想像力をたくましくすれば
\‐  人類の歴史とは
    進化の過程で
    強迫観念を持つにいたった
    あなたがた
    ホモ・サピエンス種が
    強迫観念を持たない
    他の人類を抹殺した歴史
    なのかもしれない
 
  (‥ )というかだな
      我々自身の歴史
      我々自身の日常が
      そうではないのか?
 
 強迫観念、という言葉が何を意味するのか、という問題は絶えずある。しかし、合理性では説明できない勝手な思い込みや価値観や強い執着で邁進する人々が周囲に多大な迷惑をかけること、これはよく遭遇することだ。
 
 そしてあるいは大きな発明や業績を成し遂げること、あるいは大戦争と大征服と大虐殺を引き起こす事、歴史を動かすこと、これらはまったくの事実だろう。
 
 強迫観念にかられて生きたくないという叫び自体が、私たちが強迫観念にかられて邁進する得体の知れない動物であり、それを放棄することが出来ないことを示唆しているように見える。
 
 ∧∧
( ‥)強迫観念にかられて
    自滅する人も多いけど
 
  (‥ )だがしかし誰もが
      多かれ少なかれ
      強迫観念を武器に使う
      それを武器に
      襲ってくる人々を相手に
      いやだいやだと言っても
      強迫観念を手にして
      戦い抜くしか無い
      この世界は
      そういう世界だと思えば
      どうよ?
 
 つまり、強迫観念にかられて生きたくない、とはまさに絶望の叫び。そこにあるのは、分かっているのに決してたどり着けない平穏、安らかな世界を全否定する現実という名を持つ永劫の地獄。


 
 
 

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