( ‥)ほぼ20時間寝てしまった・・・
∧∧
( ‥)一度起きて食事しましたけどね。
なんだ? 疲れているのか?
(‥ )土曜日がまるまる消滅したぞ
∧∧
(‥ )もう日曜日の朝、まもなく夜明けがきます。
食事もすませた、後で散歩へいこう。
さて
ある意味こちら→*の続き
旧約聖書外典に記述されるユダヤ教徒のゲリラ戦。それに対するセレウコス朝の軍隊、その影に見え隠れするパルティア。
(‥ )そういえばパルティアの本を持っていた
はずだがね。どこへやったかな。
∧∧
(‥ )「パルティアの歴史」山川出版 1993 ですね
\- Amazonの中古では3万9799円からスタートです
なにその高値?
室内を探したところ
∧∧
( ‥)ありましたよ、パルティアの歴史
-□ [A Political History of Parthia] N.C.Debevoise 1938
(‥ )おーありがたい。
元値は3000円。たしかにパルティアの本なんて英語ですらまともにない(そもそも「パルティアの歴史」自体、そういう希少な本の和訳である)から、その希少価値は否めないけども、4万はちょっとね。
セレウコス朝や後のローマ帝国に対する反感からか、ユダヤ教徒の中には親パルティア派がそれなりにいたらしい。とはいえ、パルティア自身にはまともな記録が残っておらず、それこそユダヤ教徒の記録や伝承、発掘された粘土板や貨幣、敵対関係にあったローマによる記録から類推するしかない、歴史を記述するのがかなり難しい国家。
そんなパルティアが現代人から見ても、ああ、あの事件? と思えるエピソードというと
∧∧
( ‥)全部ローマ帝国がらみですよね
-□
(‥ )トラヤヌス大帝のパルティア遠征とか、
アントニウスの遠征とか、でも一番有名だと
言えそうなのは
ローマ共和制の末期、三頭政治の一角を担った
∧∧
( ‥)クラッススさんの大敗ですよね
(‥ )遠征したローマ軍、4万2000のうち、
□- 戦死者2万、捕虜が1万ね。
すごいねえ、この負けっぷり。
全滅ってやつですね。
∧∧
(‥ )歩兵が主体で、騎兵が4000。
□- それでのこのことオープンスペースに出てくるって
クラッススさんは何を考えていたんでしょうね?
(‥ )さあねえ?
パルティア軍も「ローマ軍は騎兵の強いパルティアを考慮して山道を進軍するはずだ」、と考えて歩兵と軍の主力は山へ移動していたので(ようするにクラッススの行動は大胆不敵というよりは、予想の斜め上をいく非常識)、
∧∧
( ‥)でっ、4万のローマ歩兵を相手に
パルティアは急遽、手持ちの1万の騎兵(重装騎兵と軽騎兵)で
戦うしかなかったと。
(‥ )まあでもあれだ、いくら数が4倍だっていっても
オープンスペースで騎兵や散兵の支援がない歩兵が
騎兵に勝てるわけないんだよな。
4000の騎兵も補給がなくてまともに戦えず、がんばったのは軽装備のガリア兵士だけ
だが数が足りない。
2000の歩兵が17騎の騎兵に包囲されたあげく、一方的にぼこられて撤退せざるをえなかったという話があるように、歩兵が騎兵に勝てる道理があるわけはなく、
∧∧
( ‥)そりゃあ、高速で移動して、200メートルもある距離から
ぱんぱん正確に射抜かれたら
(‥ )いくら訓練された歩兵だって
陣形崩れちゃうだろうしなあ
死傷者がほとんどなくたって陣形が崩れたら逃げざるをえませんでしょう。
∧∧
(‥ )パルティアは騎馬民族の国だから弓は
□- 合わせ弓(合成弓:複数の素材を使った強烈な弓)
なんですよね。
(‥ )火力が違うっていうの?
なんかの本ではもろに当たると冗談抜きで
手や首がすっ飛ぶってあったけど・・・
鎧も貫通する武器で攻撃されて、追撃も反撃もまともにできず、ローマ軍は一方的にぼこられて夜陰にじょうじて逃げるしかなく、町に立て籠るももはや状況は絶望的。和平交渉の話が持ち上がるが、会談は決裂、というか、いきなり乱闘が始まってクラッスス死亡(パルティアの陰謀だ、という解釈もあるが、極限状態で1人のローマ兵が戦い始めてしまった偶発的な事故、という解釈あり)。
これで三頭政治が崩れ、さらにはカエサルの独裁に至ると。
∧∧
( ‥)でも、どうしてクラッススさんは歩兵主体でオープンスペースに?
□- 忠告もされていたし、騎兵の提供も打診されていたって
言う話ですが(クラッススが受け入れなかった)
(‥ )さあねえ?
白兵戦しかしたことがなかった、とか?