∧∧
(‥ )雨です
(‥ )北風が入って急に寒くなったなあ。
昨日は良い天気の中、丘の上で本と資料に目を通せたけども、今日は駄目っぽい。
さて
科学における理論や意見の妥当性を調べていると、曖昧模糊とした場所に辿り着くことがある。
∧∧
( ‥)初めて見る、初めて見た方法論やロジックで
囲まれているから途方にくれる、みたいなことが
ありますと。
(‥ )でも、それはある意味では楽なんだ。
それを知ればいいだけの話。
解析手段が難しくて理解できなくても、見ていれば「ああ、これがスタンダードなんだ」というごく簡単な理解、というか理解と呼んでいいのかさえよくわからない現状把握には辿り着けるし、
∧∧
( ‥)現在の仮説の趨勢は分かると
(‥ )もちろん、科学の歴史では「勝利した仮説」が
じつはデータが少なかったので見かけ上勝利していた
そんなこともあるわけで。
「敗北した仮説」もデータが少なかったので当時は敗北して見えた、というだけかもしれない(ややこしいけどもデータが少なかったから、で敗北するとは限らない)。
つまるところ、「現在の趨勢を把握した」、「スタンダード/正統派の仮説を把握した」、というだけでは、科学の、あるいは科学のそのジャンルの理解において十分であるかというと、それは怪しい。
∧∧
( ‥)でも、最低限、現状のスタンダードを
伝えることはできますね。
( ‥)最低限、記事を書くことはできるよな。
でもそれ以上にやっかいなのは。
判断基準が深刻な問題に突き当たる場所にまで行き着いた時。
∧∧
( ‥)例えば原因と結果とか。
(‥ )原因と結果は論理では正当化できない。
うまく記述できない。
ビリヤードの玉Aを玉Bに当てた時、Aは止まり、Bが動き出した。Aが原因であり、Bが結果であることを論理的に証明せよ。
∧∧
( ‥)無理だと
( ‥)無理だね。
エネルギー保存の法則で説明できるではないか、と言う人ももちろんいるけども、それは以上の問いの説明になっていない。
∧∧
( ‥)あれ自身、AとBは、CとDはそれぞれ原因と結果であろう、
そうした複数のデータを説明するグラフを帰納でも演繹でもない
方法で取り出してみましたですからね。
(‥ )原因と結果を仮定しているのであって、原因と結果を
論証しているわけじゃない。こういう場所に
行き当たった時に人間それぞれが
持っている世界観や科学観がテストされるんだよな。
そこでボロが出るってことがある。
( ‥)因果関係にからむ問題、ホメオパシーや喫煙の害
断続平衡理論や果てはカジノのサイコロに至るまで
∧∧
( ‥)そういう場所で得体の知れない方向へ
ふらふら歩いていってしまう人もいると。
さながら、雪山で吹雪、あたりがホワイトアウトとかいうものになって下山ルートを間違えて考えられないコースを辿って遭難、みたいな。
ただし
∧∧
( ‥)ただし、この遭難は本物の遭難と違って
死なないんですよね
( ‥)死なないで書き続けることができるんだよなあ。
論理的であれば科学であり、実験なんてしなくていいと言っていたライターがおかしな方角へ下山していくのを見た時、ああ、ああいうモデルを抱いていると科学の世界では遭難するのだ、そう思った。
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( ‥)でもありがたいことに
(‥ )この登山は前に下山した人の足跡が
ちゃんと残っているんだよな。
調べれば足跡を追跡できる。
( ‥)問題があるとしたらこういうハードな場所では
研究者でさえ下山ルートを間違えるって
ことでね。
∧∧
( ‥)どの足跡を良しとするべきか、それはそれで
テストになるんでしょうね。
死にはしないが遭難するのは勘弁。