∧∧
(‥ )お昼です
(‥ )あちらじゃ早朝。こちらもこれから起動しよう。
寝てしまった
さて
時々、というか意外と普通に見るのは
(‥ )科学とは法則に数値を入力すれば
正しい答えを出力するし、それは
絶対的に正しい、と思う人。
∧∧
( ‥)それ、科学でもないし、科学の理解として
正しいとは思えませんね。
とはいえ、そう思っている人々が実はごろごろいるのがこの世界の姿だと言える。
(‥ )法則や方程式がない生物学はいい加減に違いないぴょん
とか言ってみたりとかね。
∧∧
( ‥)はあ、生物学にも方程式はいくらだって
あるでしょうに。
とはいえ、生物学は物理学よりもそういう”法則”を作りにくいのは事実。なぜかというに
∧∧
( ‥)均一ではないからですね。
(‥ )類や種、という概念は物理学だろうが生物学だろうが
あるのだけども、扱っている類や種が均一で
同じ性質を持っているかというと必ずしも
そうではない。
均一でない類や種を”法則”で扱うとしたら、それには限界があるか、そもそも問いやアプローチが間違っている。とっ、まあ、こんなことはありがちな、というか過去において行われた議論の残照のようなもんで。
∧∧
( ‥)まあ、当たり前の話だと。
( ‥)興味深いのはむしろ、そういう議論が”あった”こと自体
-□ ”科学とは類や種をすべからく均一に記述できる学問”
そう思い込んでいる人がかなり多い、
多かったことをたぶん示している。
科学とは数学のように「完全な演繹で導き出せる体系」に違いない、という素朴で役に立たない信念、あるいは世界観。
∧∧
( ‥)でも科学自身にそういう見解がはびこっていた
時代もあったっぽいですよね。
(‥ )19世紀ぐらいとか、かね?
たぶん、確率とか統計学が大きな力を持ち始める前の世界観。
こういう世界観はちょっと複雑なものになると途端に扱えなくなる。あるいは複雑なモデルを採用できない(例えば統計熱力学が理解できないので原子論を採用できない、原子は存在しないと主張)しかしながら
(‥ )進化理論の検証の話が出ると、必ず誰か、
オレのところの教授は実験できないものは
科学でない、そう言っていたと言うだろ?
∧∧
( ‥)必ずではないですけど、散見されますね。
あれが創造論者のたわ言だと言うのでなければ、そういう一世紀前の世界から亡命してきたような教授だかなんだかが今でもいる、最近までいた、ということでもあるらしい。
( ‥)科学は法則に値を入力すれば真実を出力できる
科学は均一な類と種だけを扱える
∧∧
( ‥)それだとすごく限定的なものしか扱えないし、
どちらかというとその理解は宗教か神学に近いですよね。
科学を宗教にしたか、あるいは宗教的な思想から科学をそうとらえてしまったのか、それはよく分からない。とはいえ、科学も人間を媒体にして存続する系譜であれば、媒体である人間を伝播する他の系譜、宗教や神学や、あるいは人間の生物としての心理からの影響が無縁なんてことはないだろう。
(‥ )いや、あるいはこういう信念こそが科学、あるいは
人間の心理的な本質であったとか、その原型であった
そういうこともありうるわけなんだよな。
∧∧
( ‥)まあ、オレ様理論家や陰謀論者が公式をいじくりまわして
ほら、鳥の進化はこれだ、人間は月にいってない、
そういうことを言うってことはそういうことかも
知れませんね。
というか神学や哲学や過去の科学(っぽい何か)でさえ、何世紀も実験をしていなかったり、観察もおざなりにし続けたことを考えれば。
∧∧
( ‥)手を動かさずに思弁的に考えるのが人間が持つ
本来の”知的好奇心”というやつですか?
(‥ )逆にだ、実験する、観察する、発掘する、
探す、調べる、見る、聞く、
それをするのが人類の心理であったなら
何世紀もそういうことをしていませんでした、ということは起きなかっただろう。
( ‥)思弁的に考えるだけで実行しない、人類はへたれなサルだ
という仮定は、口先だけのオレ様理論家が
うじゃうじゃいることをうまく説明できると思う。
∧∧
( ‥)元記事の英語読めないけど、温暖化はウソダーとか
教科書読んでないけど、温室効果はウソダーとか
ですかね。
オレ様理論とまではいかないが、調べていないけども「違いない」と思い込むのは人間にはありがちな話。
反対に、科学は宗教であると思い込む人を見て、科学が間違いであることは確実だっ!! と思い込む人もいる
昔、子供の頃に国語の教科書でこんな文章を読んだ。重いものも軽いものも同じ速度で落ちる、わけ知り顔の人たちはそういうが、実際にはそうでないから物理学は・・・
(‥ )どこまで正確な記憶かは定かではないが
こんな内容でね。小学生ながら、この著者は
何を言っているのかなーと
∧∧
( ‥)はあ、じゃあスペースシャトルや宇宙ステーションにいる
人たちはなんで無重量状態になっているんでしょうね?
*もちろん当時はそんなものはなかったが、軌道上の物体が無重量状態であることは著者だって知っていたはずだ。
ただ、著者の発想は理解しやすいと言えば理解しやすい。
物理学は重いものも軽いものも同じ速度で落下するという。しかし実際にはそうではない。ゆえに物理学は完全に正しいわけではない。
∧∧
( ‥)まあ、前提が以上のようだとしたら
この結論は論理的ではありますかね。
*実際にはこんな前提を物理学もガリレオも敷いていない。
(‥ )科学を矛盾のない数学のような演繹体系だと考えた人が
現実から乖離した前提に基づいて、
論理的に否定してみせる。
科学を宗教だと思う人も、科学を宗教だと否定する人も、どっちも「論理的で矛盾が無い(と自分が感じれば)、すべからく結論は正しい」と
∧∧
( ‥)どちらもそう思っているだろうと
(‥ )じゃないかとね。
そしてたぶん、これが人間の知性とやらの平均的な限界。
人間は結局、悪い意味で神学者であるのが原型かもしれぬ
∧∧
( ‥)研究者は
(‥ )これを才能と行動と実行で突破した少数者。たぶん。
彼らがしばしば事故や怪我や病気、過労で死ぬのはそのせい。