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2014年2月4日火曜日

自由の結果を決めるのは私たちではない

 
 外は小雨が降り続き、肌寒い灰色の空だった。
 
 ∧∧
(‥ )神奈川は夕方以降、
\‐  雪になるという予報ですね
 
  (‥ )そうなってもおかしくない
      そういう寒さだな
 
 なんというか放射冷却で氷点下まで熱が逃げた、という感じではなく、余熱がないから熱は逃げないけども暖かくもならないよ、そんな感じ。
 
 さて

 人間には自由が無い。
 
 ∧∧
( ‥)そう言うと烈火の如く
    怒る人がいるんですけどね
 
  (‥ )悲しいぐらいに
      必死なのだな
 
 こう言えばむしろ良い?
 
 人間には選ぶ自由はあるが、結果の決定権を持っていない。
 
 迷路の分岐点のどちらを選ぶか? その自由は誰にでもあるが、その分岐点を進んだ結果を決定するのは、この宇宙だ。
 
 どの道をゆくのかを選ぶ事はできるが、その先にあるのが袋小路なのか出口なのか、出口であるにしてもそれはどんな出口なのか、それを選ぶことは我々には出来ない。
 
 選んだ人に結果を選ぶ自由はない。
 
 ∧∧
(‥ )結果はあらかじめ決まって
\‐   いるのだと
 
  (‥ )実態はもう少し複雑だけど
      すべては誤差の範囲内だ
      どっちにしろ
      決めるのは僕らではないな
 
 だが世の中には選んだ自由があるのなら、こういう結果を得られるはずだ、その権利がある、そう思い込む人もいる。
 
 ∧∧
( ‥)その人たちなりの確信が
    あるのでしょうね
 
  (‥ )つまりあれだ、
     この迷路はこうなっている
     はずだ
     そういう確信がそこにある
     だからこの選択肢を選んだら
     こういう出口にたどり着ける
     こういう結果が
     得られるはずだ
     そう思い込んでいるって
     わけだな
 
 思い込んでいるから、権利、すなわち人智を越えた超自然的な何かに保証された、”手に出来るはずの未来”、があると思い込む。
 
 当たってもいない宝くじで当選したら何を買おうか、そんなことを考えるような固執。
 
 思い込んでいるからこそ、望みの結果を手に出来ないことに怒り、手に出来ない可能性を示唆する言葉に激怒する。
 
 ∧∧
( ‥)人間に自由などない、
    その言葉は彼らにとって
   ”手に出来るはずの美味たる未来”
    を粉砕する暴虐に
    思えるのだと
 
  (‥ )自由=望んだ未来
      そういう
      非現実的な世界観を
      持つからこそ、
      自由は結果を保証しない
      選択は良いを意味しない
      この単純な現実に
      打ちのめされ
      これに恐怖し、
      そして怒り狂うのだ
 
 だがむしろ、自由とは不幸になる権利であると人は言う。
 
 不幸になる。それは選択肢を選ぶ自由を行使すると、失敗する可能性、望まぬ出口に導かれる可能性、宇宙が牙をむく可能性があるからに他ならない。
 
 世界は世界で、宇宙は宇宙で、その冷酷な構造と理を持っている。その中で自由を行使するとは不幸になる可能性をはらんでいることに他ならない。
 
 だが、自由=望んだ結果、と思い込んでいる人間はこれが理解できない、これに耐えられない。そして望んだ結果が出ないから怒り狂う。
 
 尊い自由を行使したはずだのに、なぜこんな結果になるのか? と怒りに震えておる。
 
 ああ、確かに確かに、気持ちは分かるぞ。だけども、それは自分の勝手な思い込みではなかったか?
 
 世界はこうであろう、という思い込み。この思い込み自体は必要だ。判断をする上で思い込みは必要なのだ。必要なのではあるが、思い込みは思い込み、仮説は仮説自身の正しさを保証してなどくれぬ。当然、結果を保証してくれるわけもない。結果を決めるのは宇宙だ。私たちではない。
 
 

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