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2011年6月18日土曜日

その人は大きく知っている人でした

 
 
   ( ‥)以前、国立科学博物館で
       「こんな恐竜知ってるー!!」と
       骨格展示をちらっと見るだけで
       走っていった子がいる。
 ∧∧
( ‥)図鑑を抱えてましたよね。

 それで思った。知っているとは言うが、ではこの子はティラノサウルスの坐骨が目の前にあった時に、それを識別できるのか? 

 ∧∧
( ‥)無理でしょう。

   (‥ )世の中の”知っている”って、
       名前を知っている、とか
       そんな程度なんよね。

 それは知るではあっても、把握ではない。

 ∧∧
( ‥)知ると把握は、まあ確かに
    別の用語ですから。

   ( ‥)だとすると、世間の人が時に
       仮説と聞いて、はあ? という
       顔をするのは当然かもしれん。

 これは仮説です、と聞いて、「なんだ仮説か」というのは実はかなり致命的なことでもある。仮説であればこそバージョンアップできるが、知識が真理であることを要求したら、そこでおしまいだ。

 ∧∧
( ‥)機械や商品はバージョンアップが
    求められるのに、知識は
    真理であることを求められるとは
    これいかに?
 
    (‥ )諦めて満足すれば幸せだと
        言うがごとし。かな?

 例えば、把握という言葉には、現状こんな理解です、という仮説で暫定的なニュアンスがあるっぽいけど、

 ∧∧
( ‥)知る、はそうではないと。

   (‥ )でも知識も現実には仮説なんだよな。
       トロサウルスとトリケラトプスって
       同じじゃね? というニュースが流れた
       時、一部にパニック的な反応が
       あったろ?

 ああいうことは良くあるけども、あれってやっぱり、知識が仮説でしかない、ということを踏まえていない反応ではなかろうか? 

 *トリケラトプスとトロサウルスの話。頭の一部以外では識別不可能な動物で、たくさんの標本を並べてみたら、頭でも明瞭に識別できないことが分かった。分類学は本来、資料を把握、識別、操作するためにあることを考えると、識別できないものを識別し、名称をつけることに意味はない。ようするに別種かもしらんけど、これ、同属でよくね? という話。

 ∧∧
( ‥)まあ、そもそも分類体系自体が
    「体系化された知識」
    ですからね。

   ( ‥)体系化された知識。それは
       現実でもなんでもない、
       図書館の本の並びと同じ
       なんよね。

 図書館の本の並びは作者や本の系譜とはまるで関係ない整理整頓の体系で、あれは書籍の動態を説明する理論でもなんでもない。体系化された知識は知識を並べただけであって、それは現実を説明する能力を持っていない(*そのくせ人間は、特に「お利口さん」は体系化された知識で現実を説明しようと無茶なことをしたりする)

 ∧∧
( ‥)体系化された知識に
    こだわる人は多いでしょ?

   (‥ )名前を知ればそれで良い、
       それで充分みたいな
       子供のようにね。

 知の巨人、と言う言葉がある。

 ∧∧
( ‥)大量の知識を体系的に
    知っている人、そういう
     意味合いでしょうね。

    (‥ )それはつまり、知っているだけ
        それは把握するではないし、
        現実を説明できる仮説を提示する
        理論を提案/把握するでもないんだよな。

 伝え聞いた知識を網羅整理、体系化した、それだけの話、ではないのか?

 ∧∧
(‥ )分類ってのは暗記術の
\-   側面がありますから。

    (‥ )大量の本を買って並べて
        整理整頓して、ほら、どうよ
        俺様の図書館すごいでしょ
        そう自慢している
        ようなもんだよね。


 だがしかし、図書館は現実を説明する理論じゃない。だのに体系化された知識で世界を把握しよう、説明しようというのはいかれている。

 知の巨人、とか言われたら、人としてどうかは知らんけども、科学の世界じゃ終わりなんだろう。
 
 知って満足するとは、幸せかもしらんけども無惨なことだ。



    

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