皆が勘違いしやすい間違いを練り込めば、皆が分かってくれる
∧∧
( ‥)分かったつもりになってくれる
がより正解ですけどね。
( ‥)分かった、というのはそれが答えだ
という確信でしかないんだ。
しかし、確信であるだけに、それが本当に正しいのかどうか、いちいちチェックしない。確信したらそれで終わり、ということでもある。だから間違いに気づかない。
∧∧
( ‥)ゆえに”それ”が答えのままになるのだと。
(‥ )だから分かりやすい勘違いが
”正しい答えだ”とずーっと
思い込むし、納得することに
なる。
確信は心理的な納得でしかない。心理的な納得が現実における妥当性を示しているわけではない。
1例。
ダーウィンの進化論は大進化を説明できない
∧∧
(‥ )大進化、というのは本来的には
\- 種から別種への進化のことを
言うのですよね。
(‥ )グールドなんかに言わせると
門の出現、ボディープランの
”大幅な変革”だな。
だがしかし、このどちらも間違いである、というか意味がない。ようするに大前提として
:A種からB種への進化は不可能である
:A門からB門への進化は不可能である
と置いた上で、ここから答えを導きだしただけなので、
∧∧
( ‥)AからBへの転移が実際に不可能で
あるのかどうか、については
何も語っていないのですよね。
( ‥)何も語られていない大前提に
基づいて得られた結論は
現実においても何も
語ってくれないんよ。
大進化が不可能だ、という結論は何かを語っているわけではない。
というか、A種からB種、A門からB門への転移が不可能である、という前提は観察から得られたデータと付き合わせれば、あからさまに破壊できるので、明らかに間違っている。
∧∧
( ‥)種には亜種や変種や、どの種に
属すべきか分からん種族が
ごまんとおりまして。
(‥ )門だと思っていたら、ご免、
科でした、、、ということも
あってなあ。
ハオリムシが当初、新しい門だ、と言われた後、あれ?目(もく:order)かな? いやこれ、普通に環形動物じゃん。それもケヤリムシの一種だよ、こういう過程で分類学で言う科のレベル以下にまで融解していくさまを見た後で、グールドの言う「門への大進化はカンブリア爆発に...」という主張を聞いた時は
( ‥)これほど色あせた主張は
他に聞いたことがない、と
思ったよなあ。
∧∧
( ‥)グールドさんのアイデアは素人は
いざしらず、研究者はもはや
一顧だにしていないでしょう。
とっ、いうかグールドが主張の根拠としたカンブリアの生物群は、大進化、あるいは爆発的で二度と起きなかった特別な(ダーウィニズム的でない)進化、こういったものが実はまったくなかったのだ、それを論証するデータとして使われていると思う。
それもグールドの「ワンダフル・ライフ」出版の翌年からそういうムーブメントが始まるのだから、皮肉と言えば皮肉。
大進化はダーウィニズムでは説明不可能だ、という大前提を組み込んだ、”大進化を説明する新しい俺様進化論”、こういう主張は150年数多くの人間が主張してきたが、どれも共通して前提自身に意味がなかった。だからここから立論した理論や意見もやはり意味がない。
∧∧
( ‥)でも、一般の人? あるいは
ちょっと物ごとを考えてしまう人に
うけるのだと。
(‥ )A種とB種を認識した時、
人がAとBを識別した時、
人はそこに壁を感じる。
別なものだから別なのだ。そこに壁があるではないか。別なものが別ものになるのは特別だ。壁を乗り越えるのは特別だ。特別だから大進化だ。ゆえにダーウィニズムでは説明できないのだ。
つまるところ
∧∧
( ‥)ようするに認識や心理学に
基づいた理論ですね。
(‥ )ぶっちゃけ自然科学じゃ
ないんだよ。
勝手に認識した壁に基づいて考えて自分で納得しているだけで、壁が現実に存在するのかどうかを論証していない。今西錦司だろうが、グールドだろうが、池田清彦だろうが、彼らの主張は自然科学ではない。あれらは心理学が分析の対象とすべき何か(実際、論文まともに書いてないじゃんよ)。
∧∧
( ‥)そして分かりやすいというのは
(‥ )無惨なもんだろう?
分かった、というのは心理学の範疇だが、科学の分かったは自然科学の範疇で、両者は別物。自然科学を分かった、というのは文章としておかしいのだとも言えるし、そんなものは分かったと呼ぶに値しないのだ、とも言える。