「天文学の誕生 イスラーム文化の役割」岩波科学ライブラリー173を読み終える。
( ‥)やれやれ知らないことが
-□ いっぱい出てきたぞ。
∧∧
( ‥)それは良いことですね。
イスラームが大征服を終えて、さらにウマイヤ朝からアッバース朝になった頃。ギリシャやアレクサンドリアの科学関連の著作が翻訳される。
∧∧
( ‥)それはイスラームが征服した
ササン朝ペルシャ(イラン)の
文化振興策を引き継いだ結果であるし
(‥ )計算に秀でたインド天文学が
□- 入ってきたり、異教徒との
論争に必要な理論武装を学ぶ過程で
論証の方法論が学ばれ、それがさらに
天文学の精緻化に寄与していくと。
天文学者プトレマイオスの業績がイスラーム世界において批判的に発展させられて、その天体の軌道モデルが、ひいてはコペルニクスにまで受け継がれていった痕跡がある、という話。
( ‥)もう一度読み直さんと
-□ 状況が把握しきれんな
∧∧
( ‥)なかなかに難しいですね。
さて
ネオダーウィニズムは、その立役者のフィッシャーが優生学に関係があったように、100年前の時代背景(植民地主義や階級差別など)を反映して一度は見捨てられたダーウィンの理論を曲解してよみがえらせたもの
というような意見。
*以上のような解釈の背景には以下のような内容が含まれている
:ダーウィンの進化理論は間違っているか、あるいは再解釈するべきである(これは提案者がダーウィニズムをどう使用するか? によって選択肢が違う)
:ダーウィンの進化理論は1859年に提唱されてから、やがて科学者に無視された死にかけの学問であった(この認識には事実と誤解が混在している)
:ダーウィニズムは1920年代以後になって英国のフィッシャーたちによって復活させられた、それがネオダーウィニズムである(復活というよりは、ちゃんと理解できるようになった、が正しい)
:フィッシャーは優生学などに関係していた
:優生学は人間を遺伝的に淘汰しようと考える例えばナチズムのような考え方である(ナチスがそういう考えを持っていたのは事実といえば事実ではある)
:そういう人々によって復活させられたダーウィニズムは以下ウンヌン(好きなように曲解するのか、あるいは否定するのかは、主張者の価値観次第である:ようするに科学ではない)
∧∧
( ‥)ありがちなたわ言なんでしょうけども
それをなんと?
(‥ )これ、ようするに次のように
要約できるんよね
道徳の善し悪しで理論を判断してもよい。ライバルである理論を否定できれば私の理論は盤石であり、肯定的である。
*道徳で理論を否定している以上、道徳で理論の性能を判断していることになる。さらに自分の理論の性能を具体的に説明していないことからすると、相手を否定できれば自分は肯定されたと考えているか、あるいは最低限、自分の理論の性能を示す時にデータの大群をもってくることはないと言える(これは例えばダーウィンのやったこととはまったく対照的である)。
∧∧
( ‥)まあ、でも、こういう論証というか
主張はすぐに否定できますよね。
( ‥)殺人鬼が言った。
弾道は放物線を描くと。
善良な人は言った、
大砲を撃つあなたは悪です。
そう言った彼を弾道計算が
見事に粉砕した。
道徳は理論や仮説の性能を反映しない。道徳的に優位にたっても自分の理論の性能は上昇しない。理論の性能は道徳を完璧に粉砕できる。
∧∧
( ‥)でっ? このあからさまな
現実がなんだと?
(‥ )逆にいうと、世の中の多くの人は
そうではない先のような論証で
満足するそういうことだよな?
先の「天文学の誕生」で面白い話があった。イスラームやキリスト教のような一神教と、ゾロアスター教のような善悪二元論の宗教では根本的なところで世界観に差がある。
∧∧
( ‥)善と悪があるのは明らかであり
-□ 世界は異なる2つの要素より
成り立っている。
(‥ )善人も悪人も共に創造されたものであり
□- 由来がひとつであるのは明白。
∧∧
( ‥)どっちも矛盾はないのでは?
(‥ )まあ、それもさることながら、
善と悪、人間が認識した
カテゴリーに基づいて
論理的な体系を構築することを
目指していたらしいのは
興味深いと思わんかね?
そしてこれが人間本来の思考じゃねーの?
∧∧
( ‥)科学は違うでしょ?
( ‥)善と悪の実在を肯定しないだろうな。
まずそれは心理的なもの、人間が作った取り決めだと見なすだろう。それを示す無数のデータを提出するだろう。次に取り決めだとしたら、なぜその取り決めが出現したのか? その出現をほどこした圧力を想定するだろう。それは具体的に人間関係の数だったり(例えばジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」を見よ)、あるいは犯罪の発生率だったり、あるいは人間が摂取できるカロリーだったり、そういうもので換算するだろう。そして論証するだろう。その論証には実験と観察が含まれるだろう。
∧∧
( ‥)可能な限り、分解して
よりシンプル、かつ
正確なモデルを作ろうとしますね
(‥ )でも科学以外はそうではないんよな。
ネオダーウィニズムは忌まわしい優生学の徒であるから否定。しかしそうでない私はゆえに肯定。
これは稚拙きわまりない論証だけども、これで満足してしまうのが本来の人間、あるいは普通の人間ということか。
そしてまた、これは
(‥ )おそらくその本人が生きてきた
学問分野における
論文の作りを反映している。
∧∧
( ‥)まあねえ。理系の論文だったら
素材(データ)、その抽出の仕方、
その処理の仕方、結論、考察
となりますけども。
この世界にはそういう手続きを全然踏まないし、それでも満足される論文もあるのだ、ということは意外と最近になって知った。
余談めいているのだけども、この本を読んだある人から「ダーウィンの主張はこういうことであろう。その仮説/解釈に従うとこうなるが、事実、それを支持するこのような記述がある。という書かれ方をしていたのが良かった」と言われて、ぎょっとした記憶がある。
∧∧
( ‥)なぜぎょっとしたのかと言うと。
(‥ )それ以外の感想文の書き方が
あるなんて、知らなかったからさ。
あれはカルチャーショックで、正直言ってぞっとした。この宇宙には自分にはまるで理解も共感もできないものがあるということが分かった瞬間でもあった。
それを踏まえてネオダーウィニズムが優生学の以下うんぬんとか言うのを見ると、ああ、これが人間本来の感想文か、と納得する。
∧∧
( ‥)でも、科学以外の人のすべてが
そうではないですよね?
先のイスラームの知識人の方々も
そうでした。
( ‥)あの人達はもっと
練られているよね。
先の本でもイスラーム世界における知識人の討論は、良いなあ、と思った。アリストテレスもすばらしい。それに例えば「神学大全」を書いた、トマス・アクィナス。あの人は頭良いよなあ。
(‥ )ガキどもとは大違いだ。
□- 読んでいてしびれるよ。
∧∧
( ‥)そりゃあそうでしょう。