*の続き
( ‥)マスメディア。それがたとえ
科学ジャーナリズムと自称して
いるものであったとしても、
結局は科学と相克がある。
∧∧
( ‥)まあねえ。
最低限、メディアや科学ジャーナリズムが、科学の監視やご意見番という立ち位置、あるいは「核兵器を始め、技術の暴走にもの申す」という見解を持った時、それが使命であると考えた時、相克が始まる。
∧∧
( ‥)それが”良い”ではないか、
それが道義ではないか
そういう意見もありますけどね。
(‥ )もっともらしいけども、
それは道徳や倫理で力学を
論じるようなもんだな。
あるいはこう言えばいい? それじゃあ物事を聖書になんとか当てはめようとしていた19世紀の創造論者と変わらないんじゃねーの?
科学者が科学ジャーナリズムにしばしば不快感を抱くのは当然だよな。100年以上も前にたもとをわかった時代遅れの老人が「へへへっ、僕が思うにですね〜〜」なんて言いながら顔を出してくるのだから、そりゃあいやな顔をするに決まってる。
( ‥)理論の理解と道徳的判断が
絶望的にごちゃまぜなんだよね。
∧∧
( ‥)判断したことをもって理解したとする。
そういうことだとしたら
確かに困ったことですね。
まあ、そっちの方が楽だからなあ。
(‥ )これ悪い、と感じたら
「いやっ!!」といって
拒否すればいい。
∧∧
( ‥)難しい理論を理解しようと
悪戦苦闘したりする必要がないし
自分の理解が妥当かどうか
検証する必要もないのだと。
ようするにジャーナリズムやメディアのありかた、あるいは科学ジャーナリズムのありかたって、あれは単に逃げなんよね。論文を読みたくない、という逃げ(だから余計に嫌われる)。
∧∧
( ‥)ようするにメディアやライターの
理念は妥当性の追求を
やはり肯定できないのだと。
(‥ )売るという経済人としての
ありかたも、分かりやすい、という
顧客重視のありかたも、
正しい報道という理念も、
科学に一言ありという姿勢も
いずれも科学を肯定できない。
どの理論が妥当であるか? と言う現実の見極めを、以上の理念や倫理はまったく肯定できない。
∧∧
( ‥)どうしたもんでしょうね?
(‥ )中国方式でいくしかないんじゃね?
中国へ行って思うのは、能力や人のあり方は日本人も中国人も平均で見れば差がない。習慣の差や、あるいは”あるその技術”が普及してまだ間もないからそれに慣れていないとか、そういう違いは確かにあるが、平均すれば同じだろ? ということであった。
まあ、これ自体は人間なのだから当たり前。
∧∧
( ‥)違いがあるとしたら
( ‥)中国の方がより分散している
というかね.....
∧∧
( ‥)日本人の方が平均に集中している
のにたいして
(‥ )中国の人って見てると
平均からすると
駄目人間も多いけど、
やれる人も多いのだよね。
「なに? 探し相手が見つからない? よし、まかせとけ」というタクシーの運ちゃんもいれば、ホテルの前に停車しているのにお客を次々に乗車拒否。とうとうホテルマンが怒って、「お前なにやってんだ??」と食ってかかると「今、眠いから仕事したくねー。起きたら客のせるから、それまで寝かせろ」と言う運ちゃんもいる。
∧∧
( ‥)悪い人って言うよりは
駄目な人ですよね。
( ‥)見たことないけど、飲みの
会計の時、寝たふりする
奴がいるっていうな。
確かに悪い人ではない。事実、そういう人を悪人とは呼ばないよね。
∧∧
( ‥)そしてそんな人は
日本にもいるんでしょう。
(‥ )ただ日本よりも多いっぽい
のだわ。
つまり平均からぶれた人間の数が相対的に多い。
∧∧
( ‥)型にはまり切らない個性の
集合。ずいぶん自由な国
ですよねえ。
( ‥)だから中央集権的になって
あの手この手でコントロール
しようとするんだろうな。
あちらの指導者層は
ご苦労様だよ。
こんな有名な言葉、
「上に政策あり、下に対策あり」
すばらしい。なんたる自由主義。
しかし、いやむしろだからこそというべきか、さる人に言わせれば、中国の人は自分自身で選んだ価値基準と考えに従う傾向が強いのだそうだ。少なくとも日本人よりもその傾向が強いらしいし、確かにそう見える。お仕着せがなく、皆が従う平均的な常識がゆるい世界。そんな中で頼れる判断基準は自分の理念だ!! ということらしい。
∧∧
(‥ )そういえば以前、反日デモが
\- 暴徒と化して日本製品や日本車を
壊している時に、「やめろ!!
中国人が野蛮人だと思われるだろ!!」
と制止している人がいたみたいですね。
(‥ )チベット支持を叫んで捕まる人とかな。
もうそこまでいくと正気とは
思えないくらい、自分の主義主張に
正直というかね。
∧∧
( ‥)科学をいかに伝えるかも、そういう
自分本位でいくしかないのだと。
(‥ )単純な結論だけどもね。