端的に言うと、
認識した問題に基づいて理論を作る。認識した問題を解決できる手段を設定して、それをもって問題を解決できればそれでその理論は正しいとみなす。
そういうことをしているだけで、それ以上ではない。
∧∧
( ‥)以上の体系自体に
矛盾はないでしょうね。
(‥ )矛盾はないがそれだけの
話だな。
矛盾のない体系は、矛盾がないというだけで、それが現実においてそうであることを保証するわけではない。
∧∧
( ‥)科学ではありませんね。
(‥ )理論的で無矛盾ならばオッケー
そういう判断をするのなら、
天動説でも別にかまわないからな。
天動説を放棄して地動説をチョイスしたことから分かるように、科学は論理的に真であればそれで良い、という性質の学問じゃない。
∧∧
( ‥)それに科学であれば観察、観測、実験を
行うことで論証するでしょう。
(‥ )これもまた科学が論理だけで
成り立っていない証拠だな。
論理的に真で充分なら、そんなこと
しないからね。
認識した問題に基づいて理論を作る
ああ、しかし、認識した問題は実在するのだろうか?
認識した問題を解決するために、ある手段、ある前提を設定する
ああ、しかし、その設定された前提なり力学なりは本当に実在するのだろうか?
問題を解決できたのだからその理論は正しい
ああ、しかし、問題を解決できる理論は無数にあるのではないか?
∧∧
( ‥)これでは意味がないではないかと。
(‥ )理論的。ああ、それで?
そういうことだね。
大進化はダーウィニズムでは説明できないので、説明できる理論を考えました。
ああ、それで? 大進化は実在するの? それに説明できるのはいいけども説明に必要とした要素は実在するの? 説明できるのはいいけども、それは既存の理論と比べて何か良いところがあるの?
∧∧
( ‥)大進化が説明できるではないか、
そう言ってくるでしょう。
(‥ )それが実在することを
論証せよ、そう聞いているの
だけどもね。
この問いに充分答えた人間が誰もいない。
認識した問題は実在するか? 実在すると言うのなら、その実在はどの程度手堅いのか? それに答えねばならぬ。
その問題が実在しない、ということを論証することなら出来る。あるいはそれをした人がいる。
反対にその問題は実在すると主張した人間は数多いが、それを論証できた人間はいない。
彼らはそれが真であると前提して、何か得たいの知れない理論を作るだけで、それ以上ではない。