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2020年12月24日木曜日

哲学は売り物であり 必然、受ける哲学はどっちかというと馬鹿向け

  
 哲学はそもそも商品として発達して、その歴史のごく初期において値崩れを起こすほど生産された。
 
 ∧∧
(‥ )だから受けの良い
\−  哲学でないと
    意味がないんだよね
    そもそも売り物だし
 
  (‥ )問題はさ
      受けが良いってのは
      その時点で
      馬鹿な内容だろって
      ことでな
 
 娯楽とは馬鹿みたいなものであって、人気のある哲学が売り物である以上、やはり馬鹿みたいなものなのである。
 
 例えばの話、古代中国の哲学だと孔子が圧倒的な人気だが、頭の出来で言えば「管子」を書いた管仲が最上位で、次あたりに韓非子、そして三番手とか、中の下ぐらいに孔子ではないだろうか?
 
 ∧∧
( ‥)というか孔子さんの
    論評聞いてると
    「管子」を
    理解できなかったっぽい
    よねー
 
  ( ‥)理解できないから
    −/ そういう仕様末節を
       論評せざるを
       えなかったんだろうな
       と思えるからな
 
 中国論理学の頂点と評した人もいる韓非子も、「管子」については似たり寄ったりな論評しかできなかったので、皆、「管子」、ひいては管仲にはまるで歯が立たなかったということらしい。
 
 ∧∧
(‥ )でもこれ確かに
\−  難しいよね
 
  (‥ )孔子がどうでもいい
      amazonの
      独りよがりな
      馬鹿書評みたいな
      感想しか言えなかった
      気持ちわかるよねー
      あれ手に負えんぞな
 
 
 *以下、追記

 古代中国では方位や、方位の司る色や神獣や食事があり、それを祭り、使い、食すことでこそ天の運行に従い、季節に従い、正しい実りを引き出し、ひいては正しい政治を行えるという理論があった。これを管仲は書いている。
 
 これと同様な内容は孔子などにも見られる。また、王の個人的な気分ではなく、えこひいきでもなく、法律による公平で客観的で信用がおける統治を目指そうという姿勢は韓非子にも見られる。
 
 しかし、当時は穀物と貨幣がどちらも交換できる通貨であり、季節ごとに需要が変わるので相場が変動すること。通貨として価値がある穀物を蓄えてしまう人がいるので、民が穀物不足に陥ること。この変動を念頭に置いて物資を放出することで穀物の値を意図的に下げて、備蓄する者に穀物の放出を余儀なくさせ、民に十分な食料を供給せよ。

 この主張は管仲特有のものであるし、これは理解が非常に難しい。王族でもあった韓非子もこれには理解が及ばなかったようであるし、孔子もまるで歯が立たなかったように見える。おそらく古代中国の哲学者の中において、宰相として実際の政務に関わった管仲は別格。
 
  
 

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