自己紹介

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2011年12月24日土曜日

僕らは糸くず

 ∧∧
( ‥)僕らは無数の遺伝子の複合体です
 
    ( ‥)血縁という編み目を通じて、
        祖先から色々な遺伝子を
        受け継ぎ、それを子孫に渡す
 
 もし、遺伝子の祖先子孫関係を視認できる生物がいたら、僕らは無数の線がごちゃごちゃと集まって絡み合い、祖先と子孫とつながり合った、糸くずで編まれたネットの結節点に見えるんだろう。
 
 ∧∧
( ‥)個体ってなんだろなーって
    話でもありますよね。
 
    (‥ )ぶっちゃけた話、個体ってのは
        便宜的な概念で実体じゃ
        ないんだろうけどね。
 
 *ここでいっているのは結節点が個体に該当するが、どっからどこまでが結節点よ? と問われたら、便宜的〜〜、としか答えられない、という意味。
 
 人には思い出があり、他人から受け取った言葉や知識や方針を取捨選択している
 
 ∧∧
( ‥)心も知識も糸くずで、網の結節点
    というわけですかね?
 
    ( ‥)そういう点では個人どころか
        自分の心さえも便宜的な概念
        でしかないかもしれないな。
 
 *これはようするに、心とか思いとか、そんなもの実在しないだろ? ということでもある。正直な話、心があるかないか、そんなことどうでも良い話ではあるのだけども、ここではこれについて論じない。
 
 ∧∧
( ‥)つまりですよ、あなたの仕事はです
 
    (‥ )前に言ったように、いわば
        現金輸送車のドライバーなのだ
        
 誰かに届ける、”その届けるもの”にこそ価値がある。届ける人に価値があるわけではない。知識を届けるとはこういうことである。人間に価値があるわけではないし、価値ある人間などに用はない。
 
 ∧∧
( ‥)本とはそういうものだと。
 
    ( ‥)まあ、気持ちは分かるよ?
      -□ 紙媒体は電子媒体より耐久性が
        あるからな。紙を破壊して
        わざわざ電子媒体にされたら
        えーっ?? それじゃあ
        情報が保存されないじゃん
        とは思うよな
 
 まあ、別にそれだけじゃないんでしょうけどね。*紙媒体も出版社が自転車操業状態に陥っているからすぐに絶版になっちゃうじゃんよ?? という問題はここでは省く。
 
 ∧∧
( ‥)でもさ、耐久性って言い出したら
    きりないですよね
 
    (‥ )知識を伝える耐久性ある
        理想的な媒体って言ったら、
        焼かれた粘土版と金属のコイン
        岩石に刻まれた文字だからねえ
 
 継承者もないまま何世紀も何千年も前に滅び去った文明を復活させたのは、それらの媒体だった。
 
 ∧∧
( ‥)でも、これからは電子の時代でしょ?
    紙媒体は消滅しないとしても
    減少し、ネットでは猛烈な速度で
    情報の更新と摩耗が進み、
    皆の中に残るのは物語ですらなくて、
    物語の断片では?
 
    (‥ )古代ギリシャやローマの哲学者達
        ちょっとマイナーな人だと
        本も業績も容赦なく散逸してしまい、
        いまや引用などで断片的に、
        しかも二次的な手がかりでしか
        知られていないみたいにね。
 
 ∧∧
( ‥)それでも良きものは断片だけでも
    人々の間に残るでしょうか?
 
    ( ‥)残るだろうけども
      -□ 人間の、消費者の心理に
        適合したものだけが
        残るだろうなあ。
 
 *人間という記録媒体にうまくのっかりやすいものだけが断片的に記録され、コピーにコピーを重ねて心という糸くずを媒介に離合集散するだろう、という意味。
 
 ∧∧
( ‥)tumblrとかで何度も何度も
    見るフレーズや画像とか
    そうでしょうね
 
    (‥ )あれが小説と本の最終形態って
        ことなんだろうな。
        
 
 人の心に適合した断片だけが、客観的な性能とかとは別にひたすら心に感染を繰り返し、離合集散しながら進化を進め、変貌していくだろうという過程。まるで遺伝子からおぼろに立ち上がり、断片のまま断片であることを放棄し、自立できぬままに自立して、命ないままに命あるかのように行動するウイルスのようなイメージ。
 
 実際、tumblrなどで切り出された言葉や文字、場面や画像は、それ自体で元の意味を自律している場合もあるが、本来の意味とはかけ離れたものになっているものもある。さながら自律をやめて自立した状態。
 
 ∧∧
( ‥)あなたはどうします?
 
    ( ‥)適合した子孫が欲しいのだ
      -□ 可能な限りしかるべき本を
        生産し、感染者を増大させる
 
 科学ジャーナリズムはまったく何も出来ない。事実、なにも成果を残せなかった。50年間、何も出来なかった。次の50年も失敗するだろう。
 
 ∧∧
( ‥)つまり既存の仮説からすれば
    あなたのやることも、
    その効果は0ですよ。
 
    (‥ )だが、誤差は必ず生じる。
 
 ミリ単位まで測れる十分有用な物差しでも、ミリ以下の誤差は生じるし、そこは測れない。仮説には推し量れない余地がこの世界には当然ある。
 
 ∧∧
( ‥)誤差にすべてを賭けるしか無いと
 
    ( ‥)そう言う意味では一般的な人間、
      -□ 普通の仮説が想定している
        人間というカテゴリーに該当する
        人々に用はないのだ。
        科学はそれらに感染できない
        からな。
 
 言い換えればこうだ。どれだけ犠牲者が出てもかまわぬ。誤差という名の成果が出れば良い。そうであれば本は人間という糸くずに知識を感染させる媒介者として存続するだろう。
 
 ∧∧
( ‥)可能な限り情報を発信し
 
    (‥ )最後に毒物をばらまこう。
 

 いずれ時がくる。立ち残っているものこそ適切な知識に感染した適合者。本というものは、こういうものだ。本はこれである限り、その効果をまっとうできる。人間にとって本などどうでも良いように、本にとって人間などどうでも良い。
 
 

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