24:00を過ぎる
∧∧ あっ、月が影から出てきました
( ‥)
-( ‥)赤く暗かった月に明かりが
ともったようだね。
完全に地球の影に隠れた時、月は赤く、暗くなる。
∧∧
( ‥)地球の大気を通して
通過してきた赤い光で
月が照らされているの
でしたっけ?
(‥ )皆既月食、月から見れば
地球による皆既日食だ。
月の大地に立てば、星が散りばめられたる真空の黒々とした大空に、大気を示す赤い線に縁取られた真っ黒な円(地球)がかかっているのだろう。
夜の町を歩くと、あちこちで人が空を見上げていた。
∧∧
(‥ )月では、その時、
きっと大地が夕焼け色に
染まるのでしょうね。
(‥ )言い換えるとあれだな、
月から見える地球とその影を
縁取る赤い線は、地球で起きている
すべての朝焼けとすべての夕焼けの
赤だってことだね。
さて
古代ギリシャを見て思うに、
( ‥)人間、少なくとも一部の人間は
とにかく論理的に考えることに
非常にとらわれている。これは
おそらく...
∧∧
( ‥)あなたがた人間はそういう思考をする
生物だ、あるいは神経の回路が
そう出来ているってことかも
しれませんね。
論理的に考える。これはぜひとも必要なことであるけども、当然のことながら、論理的に矛盾がない=現実世界においてそれが正しい、ではない。
∧∧
( ‥)観測しないと理論の正しさは
分からない。
(‥ )より正確にいうと、観測しても
その検証が意味を持つには
データから仮説を導く過程が
正しくないといけない。
*データから仮説を導いた方法論を持っている、ということは、その方法論は新しいデータが既存の仮説を支持するかどうかを判断することにも使える、そういうことでもある(これまでのデータからある方法論で仮説を導いたのだから、新しいデータから導かれた仮説がこれまでの仮説と合致するかどうかは、その方法論で分かる、という意味)。
*ということは、つまるところ、新しいデータで仮説を検証するには、データから仮説を導く過程と方法論、そのものが妥当でないとどうにもならない、ということになる(この点で公認されているやり方は例えば最小二乗法とか最節約法などがある。反対に「オレ様の直感、オレ様の考えが正しい」という方法論では検証などできないか、データを恣意的に解釈して検証を自称しても誰も採用してくれない、ということ)
∧∧
(‥ )でも、おかしなもので演繹に
\- 拘泥する人は検証や経験を
無視したり、最小二乗法や最節約法を
軽視するのです。
(‥ )実は彼らからすればおかしく
ないんだ。経験で物事を検証
するのは論理でも演繹でもない
から。最小二乗法も最節約法も
論理では正当化できないだろうな
∧∧
( ‥)でも実際はあれでしょ? 反証例が
ただのひとつでも見つかったら
論理の前提は破壊されるわけでしょ?
白いカラスが見つかったら、すべての
カラスが黒いという前提は壊れる
わけですし、それが普通に起こるのが
この現実世界ですよ。論理的な
知識体系の破壊は容易です。
(‥ )でも大部分のカラスは黒いから
問題ないっていうだろうな。
∧∧
( ‥)...それは演繹ではなくて
むしろ帰納じゃないですかね?
(‥ )うん、だから論理、論理って言う人の
大部分は実のところぐだぐだなんだ。
一般的に私たちが日常会話で使う、あるいはトンデモさん、オレ様理論屋が得意げにひけらかす証明だの論証だの、検証だの、げろげろなしろものでしかない。