年を取ると自分の好きな本しか読まなくなる。
∧∧
( ‥)...最初っから好きな本しか
読んでないのじゃないすかね?
(‥ )”好きな本を主に”から
好きで自分が読みやすい、
理解しやすいと”思っている”
本をより積極的に選択する
ようになるっていうの?
慣れる、理解できるようになる(と少なくとも本人が思っている)というのは
∧∧
( ‥)同じ場所をぐるぐる回っている
ようなものであると。
( ‥)勝って知ったる楽しい我が家
良く言えばそうだけども
悪く言うと知った気に
なっているだけだとも
言えるよね。
∧∧
( ‥)エキスパートになるってやつ?
(‥ )なるのは勝手なんだがなあ
それが実際のところどの程度、
つぶしが効くのか、という
点では保証の限りではない
その会社の、あるいはその部署の、あるいはその人のこれまでの人生で効果的だ(と少なくとも本人は思い込んでいる)というだけの話だ。
∧∧
( ‥)その時間、その期間、その部署、
場所、人から離れてなお
それは効果的なのか。
( ‥)人間は試行錯誤から成功した結果、
-□ 特定の行動が強化され、次も
その行動で成功する。そうして
行動が固定される。ハトと僕らは
なんら変わらないわけだけども。
ああ、しかしこれはようするに老年(40以上)になると、分かった気になれる本ばかりに手をのばし、分かった気になることのできない本には手を伸ばさない、ということではないか? あるいは仮に伸ばしても、固定された頭では別世界の本がもはや理解も把握も出来なくなっているということではないのか?
∧∧
( ‥)ようするに
(‥ )40以上は確かに購買力がある
しかし自らを特定の行動に固定し
プログラムした人がだよ、
新しい知識、新しい理解に
手をのばすわけない
そういうことなのだ
ただただひたすらに自分を気持ち良くさせてくれるもの、満足させてくれるものをただただ求めるだけではないのか?
∧∧
( ‥)全員ではないですけどもね
( ‥)全員でないにしても、
この仮説が近似だったら
それでもうほとんど終わりって
ことになるさね。
∧∧
( ‥)あなたは近似からもれる誤差にこそ
用があるのでしょう?
(‥ )しかり、普通の人間などいらない。
事実、私たちは普通の人間にあこがれもしないし、評価もしない。人間の9割は人間の9割をゴミくずだと思っている、奇妙ではあるがおそらくこれが近似。
∧∧
( ‥)でも、誤差は必ず出現するでしょう?
何を悩む必要がありますかね?
( ‥)そうだな、じゃあこう言えばいい?
自らの人生を固定させた大人や老人達を甘やかす仕事はいらない。
∧∧
( ‥)切りますか
(‥ )ああ、もう最大で30年あまりしか
時間が残っていない。余計なことを
するには人生を消費しすぎたよ
大人を甘やかしても、彼らからは誤差さえ産まれない。まるで不毛で不妊の生物だ。僕らは経験で固定され、効率的ではあるがまるで動く死体のように成り果てた。しかし死体は歩くべきではない。このような状況は死をまきちらすことで是正せねばならぬ。さもなくば次の生が産まれてこないだろう。