自己紹介

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2010年9月21日火曜日

生者とはようするに死に損ない

 
 
 ∧∧
( ‥)つまるところ

    (‥ )死にたくない。このまま消えたくない。何か残したい。
        でも、個人それ自身は、パーソナルなものは
         流通する貨幣にはならない。

 自伝を慌てて作ろうが、自分を必死にアピールしようが、そんなものは残らない。なぜなら価値がないから。

 ∧∧
( ‥)残したいなら。

    (‥ )自己破壊しろとは言わないけども、個人な部分、オレ様な部分
        パーソナルな部分、流通しない部分、普遍的な価値で
         裏打ちできない部分、そういうところは削ぎ落とせって
         ことだよな。

 ∧∧
( ‥)結局、どうあがいても自分は残せない、
    そういうことですね。

    (‥ )僕らは二酸化炭素と水に還り、
        僕ら自身は何も残せない。

 それでも存続できるものはあるが、それは個体でもないし、個人でもない。パーソナルでもペルソナでもない。それは貨幣にならない。

 
    ( ‥)そういう意味で、事業仕分けってちゃんちゃら
        おかしな茶番なんだよな。
 ∧∧
( ‥)色々な意味でそうですけども、存続という意味でも、
    ということですか。

 あれは今の利益を皆に還元しよう、であって、結局は個体の話。死にゆく死に損ないのことなんかどうでもいいではないか。

 ∧∧
( ‥)でも政治家は子孫にでもなく、死者にでもなく、
    死に損ない(生者)に投票してもらうシステムですから。

     (‥ )死に損ないの望みに答えるのが彼らの仕様。
 
 必然ではあるが、だから茶番。

 死に恐怖するは当然であるけども、生にしがみついたって、何も残せやしないがね。

 残したい、残りたい。しかし何も残せない。そりゃあ無様なことではありやしませんか。



 

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