自己紹介

イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック

2010年9月1日水曜日

チャンバラにならない

 
 そういう意味では

 ∧∧
( ‥)では?

     (‥ )疑似科学批判/ニセ科学批判という名称を使われて
         しまったことに対して、「そのレッテルは不当!!」
         という主張がだよ。

 もし仮に、「これこれの仮説は疑似科学、ニセ科学、トンデモです、という主張は恣意的な分類でしかなくて、そんなパラメーターもないものは自然科学とは言えない」

     (‥ )という意味だとしたら、この主張自体は
         正当かもね。
 ∧∧
( ‥)でも、そういう主張とは限りませんよね。


 文章には明言されていない、暗黙の前提がいくらでもある。

 
 ∧∧
( ‥)僕の言うことは全部嘘ですよ。

     (‥ )文字通りにそれを解釈して
        「すべての発言が嘘」だとすると
         「すべてが嘘という発言も嘘」となって、矛盾が
          生じてしまう。

 ∧∧
( ‥)でも例えば「彼が言っていることはすべて嘘だった」
    言った場合、それは明らかに何かを省略していますよね。

     (‥ )彼があの時、我々に「しかじか」と述べた説明は
         裏をとったらすべてがでまかせだった、
         例えばの話、そういう意味だよな。

 文章における全部が何々は、しばしば全体の一部が何々だ、であったりする。

 文章が文字通りには解釈できないことはごく普通。

 ∧∧
( ‥)ニセ科学というレッテルは不当!!
    それが「この仮説がニセ科学である、という分類のパラメーターを示せ」
     という主張であれば、それは正しいことかもですね。

     (‥ )まあね、ただ。

 この仮説はニセ科学である、という文章も、当然ながら文字通りには解釈できない。

     (‥ )「この仮説はニセ科学」という文章が、
         「この仮説は妥当ではない、その根拠は以下略」
          という意味だとすると
 ∧∧
( ‥)ニセ科学というレッテルをはったのは恣意的だ、
    という批判は妥当であっても、仮説の救済には
    当然なりませんね。

 単に、ニセ科学、と言っていた言葉が「これこれのデータを以下のように解析したところ・・・」とえらく長くなる、というだけで。

 ∧∧
( ‥)物差しを出せよ、と叫んだら「ほら」
    と物差しが出てきたと。

     (‥ )ただ、それは妥当性を測る物差しであって
         残念ながらニセ科学というカテゴライズの
         物差しは出せないんだよな、そんなものないから。

 ∧∧
( ‥)そういう意味ではニセ科学というレッテルは
    やはり不当だ、そういうことになるんですかね?

     (‥ )レッテル自体には意味はない。そういう主張なら
         それは正しい。だけどもレッテルがどうなろうが、
         仮説の救済には当然ならない。それだけの
          話だと思うよ


 ∧∧
( ‥)相手に認識の物差しがなかった、と分かっても、
    妥当性では負けている、という
    状況は当然くつがえりませんね。

     (‥ )ああ、逆にいうと性能の悪い仮説に
         拘泥する人って認識の話から出て来れないよね。

 ∧∧
( ‥)片や、現実における妥当性を測る物差しを出し、

     (‥ )片や、それを出されてめんくらい、あわてて
         自分用の認識やカテゴライズの物差しを
          出して対抗しようとすると。

 もし自分に現実を測る物差しがあれば、それをさっさと出せば良い。それができないということはそんな物差しがないということだ。だとしたら出せる物差しは認識だけ。しかし認識の物差しは物事を推し量る力がない。

 ∧∧
( ‥)カテゴライズにパラメーターがないのだから
    勝負がつかないと・・・

     (‥ )だからずーっと言い合いが続くんだろ?

 ∧∧
(‥ )妥当性を測る物差しは片方からちゃんと出ているのだから
 □-  勝負は明らかなはずですが?

    (‥ )でも片っぽうが、ずーっと認識の物差しを持っていたら
        チャンバラにならないべ。

 推し量れない認識の物差しでは、当然、負けたことも推し量れないし、認識もできない。


 

ブログ アーカイブ