そういう意味では
∧∧
( ‥)では?
(‥ )疑似科学批判/ニセ科学批判という名称を使われて
しまったことに対して、「そのレッテルは不当!!」
という主張がだよ。
もし仮に、「これこれの仮説は疑似科学、ニセ科学、トンデモです、という主張は恣意的な分類でしかなくて、そんなパラメーターもないものは自然科学とは言えない」
(‥ )という意味だとしたら、この主張自体は
正当かもね。
∧∧
( ‥)でも、そういう主張とは限りませんよね。
文章には明言されていない、暗黙の前提がいくらでもある。
∧∧
( ‥)僕の言うことは全部嘘ですよ。
(‥ )文字通りにそれを解釈して
「すべての発言が嘘」だとすると
「すべてが嘘という発言も嘘」となって、矛盾が
生じてしまう。
∧∧
( ‥)でも例えば「彼が言っていることはすべて嘘だった」
言った場合、それは明らかに何かを省略していますよね。
(‥ )彼があの時、我々に「しかじか」と述べた説明は
裏をとったらすべてがでまかせだった、
例えばの話、そういう意味だよな。
文章における全部が何々は、しばしば全体の一部が何々だ、であったりする。
文章が文字通りには解釈できないことはごく普通。
∧∧
( ‥)ニセ科学というレッテルは不当!!
それが「この仮説がニセ科学である、という分類のパラメーターを示せ」
という主張であれば、それは正しいことかもですね。
(‥ )まあね、ただ。
この仮説はニセ科学である、という文章も、当然ながら文字通りには解釈できない。
(‥ )「この仮説はニセ科学」という文章が、
「この仮説は妥当ではない、その根拠は以下略」
という意味だとすると
∧∧
( ‥)ニセ科学というレッテルをはったのは恣意的だ、
という批判は妥当であっても、仮説の救済には
当然なりませんね。
単に、ニセ科学、と言っていた言葉が「これこれのデータを以下のように解析したところ・・・」とえらく長くなる、というだけで。
∧∧
( ‥)物差しを出せよ、と叫んだら「ほら」
と物差しが出てきたと。
(‥ )ただ、それは妥当性を測る物差しであって
残念ながらニセ科学というカテゴライズの
物差しは出せないんだよな、そんなものないから。
∧∧
( ‥)そういう意味ではニセ科学というレッテルは
やはり不当だ、そういうことになるんですかね?
(‥ )レッテル自体には意味はない。そういう主張なら
それは正しい。だけどもレッテルがどうなろうが、
仮説の救済には当然ならない。それだけの
話だと思うよ
∧∧
( ‥)相手に認識の物差しがなかった、と分かっても、
妥当性では負けている、という
状況は当然くつがえりませんね。
(‥ )ああ、逆にいうと性能の悪い仮説に
拘泥する人って認識の話から出て来れないよね。
∧∧
( ‥)片や、現実における妥当性を測る物差しを出し、
(‥ )片や、それを出されてめんくらい、あわてて
自分用の認識やカテゴライズの物差しを
出して対抗しようとすると。
もし自分に現実を測る物差しがあれば、それをさっさと出せば良い。それができないということはそんな物差しがないということだ。だとしたら出せる物差しは認識だけ。しかし認識の物差しは物事を推し量る力がない。
∧∧
( ‥)カテゴライズにパラメーターがないのだから
勝負がつかないと・・・
(‥ )だからずーっと言い合いが続くんだろ?
∧∧
(‥ )妥当性を測る物差しは片方からちゃんと出ているのだから
□- 勝負は明らかなはずですが?
(‥ )でも片っぽうが、ずーっと認識の物差しを持っていたら
チャンバラにならないべ。
推し量れない認識の物差しでは、当然、負けたことも推し量れないし、認識もできない。