知っている事しか書いていない退屈な本だ。そう思って次々に本を読み、予備知識が増えた上で前の本を読み返すと。
∧∧
( ‥)あら不思議、前に読んだ時には
気づかなかった”新しい”知識が
あちこちにあるのです。
( ‥)こういうことが意外と
-□ あるのよね。
とっ、いうかそういうことだらけだと言った方がいい? 少なくとも読む本のクラスターいかんではそうなる。
∧∧
( ‥)クラスターね。
ジャンルでもレベルでもなくね。
(‥ )ネットもそうだろ?
似た者同士、気に入ったもの同士で
リンクを張るから、リンクを辿る
限りではそのクラスターから
抜け出せない。
いかに無敵の検索エンジンでも、検索に使う用語は自分の経験と知識の内にある。仮にツールが全智であっても、自分は全智では当然ない。つまり自分の既知の知識からは逃れられない。
∧∧
( ‥)かくてネットも本もクラスターになり
( ‥)レベルでもジャンルでもない。
-□ あるクラスターを形成している
本の集合では先のようなことが
そして絶えず起こる。
理由もまた同一。知っている知識で本を読む。その知識と知恵と理解のフィルターを通すと、当然、知っていることしか目に入ってこない。
いかに手にした本に未知の知識が記されていても、既知の知識と理解に基づいた自分では見ることができない。
∧∧
( ‥)知っている、分かっている、
理解している。実はそれがすで
罠にはまった状態でしてね。
(‥ )でも困ったことにだな
”取りあえず分かった”ことに
しないと前に進めないのだ。
例えこの理解が罠だとしても、それを薄々感じていてさえ、そのまま進むしか無い。
∧∧
( ‥)理解って困ったもんですよねえ。
( ‥)便利な言葉なんだけどさ、
-□ 理解とか分かったって言葉、
使いたくないんだよなあ。
あの単語を使う時、とてもいやな気分になりませんかね?
さながら深淵に渡された橋を渡るが、その強度の保証、未知数、だという恐怖。しかもその底は果てしない奈落。