オレ様理論屋さん。自己流に理論を打ち立て、自らこれを評して曰く、これ画期的、これを認めない研究者、馬鹿。とまあ得意絶頂に豪語するのだが、論文読まんし教科書読まないし、英語読めないよーと泣き言を言うし以下うんぬん。
∧∧
( ‥)でっ、その様相を調べるためにあなたは
”使うデータとそこから導いた仮説に対する固執度は
反比例する”という予想を立てたわけですよね。
( — —)まだ調べていないんだよねー
面白そうな本を見つけたが1万6000円なり。うおっ、お金が入るまでまってまってーー!!
(‥ )まあなんだ、仕事がちょっとだけ一段落したから
ぼちぼち調べないとな。
∧∧
( ‥)言い出したきりだと、それこそオレ様理論に
なっちゃいますからね。
オレ様理論屋さんの悪いところは頭が固いだの自説に固執しすぎだの、そういうとこもあるけども、そもそもフットワークが悪い、というか動かない、歩かない、現場にいかない、実物を見ない、思弁的、口だけ、めんどくさがりや、辞書引かない、読まない、聞かない、実験しない、他力本願、根性なしとか、そういうところが一番いかん。
( ‥)まあ、気持ちは分かるんだ、気持ちは分かるんだ、
疲れた、重い、細胞が寝かせろって叫んでる。
∧∧
( ‥)そんなこと言ってもいいけど前に進むー
死なない程度にー
さて、
前にも書いた。言葉を定義してそれを論理的に配置して結論を述べる。これは定義の時点で色々なものを削ぎ落としているし、論理的に並べて述べたことで得意満面になるのだが、実のところ正しい文法で嘘を述べることができるように、そんな得意満面はなんの保証もしてくれない。
∧∧
( ‥)論理それ自体は答えの妥当性を
保証してくれなどしないと。
(‥ )科学=論理的、と考えている人間が
進化や系統解析を理解できないのは
このせいじゃないかとね。
さて、ところでこれはオレ様理論屋さんの考え方の”メカニズム”というか”過程”を推理したもんであって
∧∧
( ‥)”使うデータの数と仮説の固執度は反比例する”という予想は
これとどう関係するんです?
(‥ )その予想はオレ様理論屋さんが経験によって
自らの仮説を是正することができない、
という観察から導いたひとつの意外な予想なんだよね。
使えるはずのデータの一部しか使わない傾向がある人間ほど自ら導いた仮説に固執する傾向があるというのは、まっとうに考えれば、はあ?何その奇妙な動作?なんでそうなるの?? なんだけども、
”経験的にデータを検証することができない”という動作から導ける予想は何か?
という問題設定ではまあなんだ、比較的もっともらしく導ける予測であって。
∧∧
( ‥)でっ、もしかしたらそう言う動作をもたらすものが
”定義した言葉を理路整然と組み上げて満足する”という
行為だと?
(‥ )そうではあるんだけども、しかし
細かいことを言い出した時、さてどうだろう?
確かにオレ様理論屋さんは”言葉の上ではいかにも正しいこと”を言う。実は当然。恣意的に言葉を定義してそれを理路整然と並べているからだ。だから理屈は正しい(ように調整されている)のだがまったく意味がないし、そもそも間違っている。
だから定義した言葉を理路整然と組み上げるというのが彼らのやっていることであることは、まあそうなのだろうけども、考えてみればこれは非常におかしい。実際、定義した言葉で考えること、それ自体は結論への固執を生み出さない。
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( ‥)むう、確かに定義した言葉を理路整然と組み上げる。
そのことは結論の固執を意味しませんよねえ。
(‥ )”満足する”というのがくせものなんだよな。
なぜ理屈が正しいだけで満足する? なぜだ? なぜだ?
さてさて、しかししかし、考えているだけではこれでは駄目だあ。
( ‥)仕事の合間に認知心理学の本もぱらぱら見たけども
-□ 色々と忘れているなあ。もう一回、読み直して
基礎から始めないとね。
∧∧
( ‥)取りあえず、今回はメモって感じですか。