自己紹介
- 北村雄一(北村@)
- イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック
2017年6月29日木曜日
さあ 燃えて落ちろ反証人間め
ワインが腐ってしまう。これを防ぐにはどうすれば良いか? ワイン業界が抱えた問題に、化学者パスツールは低温殺菌を提案した。1862年のことだ。
パスツールは酒の発酵とは酵母の作用であること、腐敗は他の細菌の仕業であることを解明した人だ。ワインを煮て風味を損ねることなく、しかし高温で雑菌を殺すことにより、腐敗が防げることを示したのである。
∧∧
(‥ )ところが室町時代末期の記録
\− 「多聞院日記」には
当時から火入れにより
日本酒を加熱して
それから桶につめることが
記述されている
これはパスツールの
低温殺菌の発明より
300年早い!
(‥ )とっ言うわけで
日本人はパスツールよりも
すごい! と
書き立てる人が
ぞろぞろ出てくる
中には、日本人はこのように実証主義者だからパスツールなどいなくても、科学など無くても、微生物という概念がなくてさえも答えにたどり着けたのだ! と熱弁する人もいるし、さらには日本人は西欧人よりも中国人よりも偉大だ! と熱狂する者もいる。
∧∧
( ‥)そして本日届きました
−□ 「中国の酒書」
東洋文庫 528 平凡社
中村喬 訳 1991年刊行
この本は
二つの中国書が掲載され
第一の書物「北山酒経」の
著者は12世紀北宋の人
朱肱(しゅこう)さん
(‥ )この人、官職についたけど
□− 途中で辞して
酒造りと著作に
明け暮れた人で
医者でもあったのだな
自分で酒を作っていたせいか、ぱっと見ただけでも醸造の記述は異様に詳細かつ具体的。手順や注意事項、必要な行程の具体的な効果などについて事細かに述べられている。
そして98ページでは甑(こしき)、つまり蒸し器の中に酒瓶を入れて蒸す行程が述べられる。さらに100ページでは、封鎖された室(むろ)に酒瓶を入れ、小さな唯一の出口に炭を置き火をつけて加熱する、直火入れの手法も紹介される。
∧∧
(‥ )この記述、明らかに火入れだね
\− しかも時代は1116年
今から901年前だ
(‥ )日本の火入れよりずっと
古いがな
日本における火入れ、つまり加熱による酒の殺菌は先に述べたように「多聞院日記」による記述が最古と言う。例えば永禄11年、1568年、6月23日の記述には
酒ニサセ樽へ入了
とある。要するに、酒を煮て加熱してから樽へ詰めましたよ、ということだ。
これは国立国会図書館デジタルコレクション「多聞院日記」第2巻77ページで見ることができる。このサイトにはコマ番号って奴があるが、ここに44を入力すると該当ページだ
=>国立国会図書館デジタルコレクション - 多聞院日記. 第2巻(巻12-巻23)
77ページ、下段、2行目を参照
∧∧
(‥ )まあパスツールさんの
\− 低温殺菌が1862年だから
確かに294年早いね
(‥ )でもよ中国の火入れより
452年遅いがな
ああなんだっけ? 日本人がパスツールより早く低温殺菌を見つけたから偉大です...だったかな? なによく聞こえない。もう一回言ってくんねえかな?
∧∧
( ‥)パスツールよりも早く
低温殺菌を見つけた
日本人は偉大だ
これを実現したのは
日本人だけだ
だから日本人は
中国人よりも偉大だ!
とか言ってた人たちは
これ知ったらどうなるの?
(‥ )憤死するんじゃね?
この話の馬鹿馬鹿しいところは、
ネットにおいて
日本人はパスツールよりも早く低温殺菌を見つけたし、これを見つけたのは日本人だけ
という話と
日本の火入れはパスツールよりも早く、中国の火入れはそれよりも早い
という話がまったく混じりあうことなく、同時に平行して存在することだった。
∧∧
(‥ )さながら
\− お互いに干渉することのない
パラレルワールドのごとく
まったく同時並行で
存在しているのだと
(‥ )言い換えればよ
お互いがお互いの存在に
気づかなかった
ということなんだよな
そして次のことも明らかなのである。この件で日本人すげーとか言ってる奴は、結局、なんにも調べなかっただけなのであると。
かようにネットは知のツールなどではない。格差と隔離のツールなのだ。誰もが情報にアクセス可能とは、実のところ情報の隔離と隔絶が容易に起こるということでもある。
そして次のように言うこともできよう。かくのごとき事柄に行き着けなかった者は調べなかった者。そんな奴が、日本人は実証主義的だ! といくら力説しても、そんなたわ言、信用できるわけがない。なぜって、お前自身がその反証だからだ。
自分自身の行動が自分自身の思想を否定する。
かような反証人間など、己を自己破壊するのが正当だろう。己自身が己の反証であるとは、そういうことだ。さあ、自らの言動に殉じて燃え尽きるがいい。
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