自己紹介

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2015年8月20日木曜日

つまり異教徒相手の話

 
 ホモ・サピエンスは宗教を信じるサルなのだから、宗教を信じないという見解は欺瞞である。
 
 ∧∧
(‥ )無宗教と思い込んでいる
\‐  日本人も宗教を信じている
    そう考えるべきですかね
 
  (‥ )生き物を無駄に殺しては
      いけない
      食べなくてはいけない
      そういう世界観だと
      駆除したイルカは
      食べなくちゃいけない
 
 反対に、キリスト教のような世界観だと、
 
 イルカや鯨は獣だから殺して良い
 
 イルカや鯨は知的だから殺してはいけない
 
 そういう極端から極端へぶれる解釈になるだろう。

 というか、鯨を殺さないことをキリスト教の文脈で正当化するにはそうするしかなかった、そう考えるべきであろうか。
 
 *ついこの間まで先住民を面白半分に殺していたのに、途端に手のひらを返すのも、そういう宗教観や世界観や倫理観の現れかもしれぬ。
 
 ∧∧
(‥ )欧米は神にプログラムされた
\‐  機械的な世界
    日本は人間同士の力学で
    物事を決める世界
    そんな感じですかね?
 
  (‥ )法律の解釈と曲解は
      どちらの世界にもあるが
      曲解の仕方
      運営の仕方
      解釈の仕方
      それが違うのだろうな
 
 一律に機械的にプログラムされた世界なら、自分たちでないものを単純に排除するだろう。排除する時、相手は人間ではない、そう主張するだろう。
 
 反対に、日本のように人間同士の力学で物事を決める世界なら、人間であれば取りあえず受け入れるだろう。
 
 あくまで程度の差でしかないが、程度の差はやはり相違なのである。
 
 ∧∧
( ‥)でも人間であれば受け入れる
    そういう日本人の世界観は
    例えば謝罪すれば
    過去は全部水に流す
    そういう取り決めが前提で
    あったりする
 
  ( ‥)日本の場合はそうだけど
    ‐/ 海外もそうとは
       限らない
       国によっては
       謝罪した相手からは
       金をむしりとって良い
       ひゃっはー
       そう解釈する文化圏も
       あるからな
 
 つまりこれ、日本教と異教徒との行動の違いだということになる。
 
 日本の流儀は人間を基礎に成り立っているが、その運営のすべてが人間共通のものとは限らない。日本独特なものが当然ある。

 そうである以上、この流儀は宗教だと見なすべきだ。ようするに日本教だ。これに従わない人間はすべからく異教徒である。そう考えるべきだろう。
 
 ∧∧
( ‥)つまりこれは宗教戦争
 
  (‥ )少なくともあれだ
      こいつは人間だが
      悪い異教徒だ
      日本教徒ではなく
      良い異教徒でもない
      ならば
      ジハードしても良い
      そう考えることが
      これからは普通に
      なるかもな
 
 少なくとも、日本教徒と異教徒、付き合える異教徒と排除すべき異教徒、多分、この使い分けが重要となってくるだろう。
 
 ∧∧
(‥ )これがグローバル化ですかね
\‐
 
  (‥ )世界と付き合うというのは
      こういうことだろうな
 
 
 *ここではジハードという言葉をかなり狭い意味(むしろ曲解的な意味)で使っています。
 
 
 

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