自己紹介

イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック

2015年8月15日土曜日

論理的に考えるとは論理の飛躍であり必ず誤謬を招く

 
 論理的に考える、というのは論理的ではない。
 
 ∧∧
( ‥)より正確に言うと
    ”論理的に考えた答えは
    正しいはずだ”
    この主張が論理的ではない
 
  (‥ )でもな
      論理的に考えることを
      人が強調する時
      ”これが正しいはずだ”
      そういう前提があるものさ
 
 そもそも論理は文法だ。文法的に正しい言葉で詐欺が出来るように、文法は文章の正否や真偽に関係しない。
 
 それと同様、論理は答えの正否や真偽に関係をもたない
 
 ∧∧
(‥ )論理は大前提があらかじめ
\‐  含んでいる結論しか
    導きだせない
    だから大前提が間違っていれば
    答えは当然間違う
 
  (‥ )そればかりか
      大前提が正しい時でも
      結論が間違う場合もある
      大前提は宇宙のすべてを
      内部に包含している
      わけではないからな
 
 厳密に言うと、これもまた大前提が間違っていると考えるべきなんだろう。大前提が宇宙をすべて含んでいないことは明白で、それゆえ、大前提が正しいということは、そもそもありえない。
 
 俺のプログラムにバグは無い。
 
 実際、プログラム自体にバグが存在しなくても外部と接触して噛み合わせると何が起こるかは分からない。
 
 ”俺の考えた最強のプログラム”は宇宙のすべてを記述しているわけではない。だったら必ずどこかで誤謬を起こす。
 
 だとしたらむしろ、”この世界のすべての大前提は間違っている”そう考えるべきなんだろう。
 
 ∧∧
( ‥)だとしたら
   ”論理が正確な答えを
    導きだす事は
    論理的にありえない”
    そう考えるべきですかね
 
  (‥ )結論すれば
      ”論理的に正しいのだから
      答えも正しいという
      意見には
      論理では正当化できない
      飛躍が含まれている”
      つまり論理的な思考とは
      実のところ
      まったく論理的ではない
      そう考えるべきだろう
 
 
 世の中にはおおむね正しいのならそれは論理的に正しいと言って良いはずだ、そう考える人もいようが、それは演繹ではなく、むしろ帰納っぽい発想のように思われる。
 
 
 

ブログ アーカイブ