教科書を授業の時間に読む。分からない。
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( ‥)そういう経験はほとんどの人が
感じることでしょう。
( ‥)一般書籍を読む。分かった。
-□ 分かったから教科書を
読まない。
∧∧
( ‥)教科書よりも一般書籍を優先
という判断ですよね?
(‥ )分からない教科書よりも
□- 分かる一般書籍であると??
しかし、分かった=正確な把握/あるいは妥当な把握ではない。
思い違いに気づくというごく身近な経験からして、そのことは明白。
(‥ )そもそもそんなに分かりやすいのなら
なぜその本が教科書にならないのだ?
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( ‥)まあ、色々な理由があるでしょうね。
必要事項のすべてを書いていないとか。
でもこういう可能性も当然ある。
∧∧
( ‥)実は内容が間違っていると。
( ‥)分かった。だからもう満足じゃ。
-□ そう思い込むのは勝手なのだがね。
だがしかし、分かったから正しい、と思い込んでいるとしたらあまりに楽観的すぎるか、あるいは
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( ‥)おかしい?
(‥ )日常経験からして、
分かった≠正しい なわけだろ?
そうであるのに、いざ本の世界では
分かった=正しい、と思い込む。
いかれてると思わないかね?
あるいは、分かった、という心理や用語自体に問題があるのか?
∧∧
( ‥)なぜ?
( ‥)僕ら人間は子供に何かを教える時に
ある所定の手続きを正確に反復できるか?
という意味で「分かった?」と尋ねる。
動作の模倣と実行可能を示す単語として
「分かった」を使うよなあ?
作業を反復できる/動作できる=分かった、ということじゃあるまいな?
∧∧
( ‥)例えば文章を暗記していて引用できる。
(‥ )あるいは作者の主張のパターンを
模倣して主張できる。
もし仮にそうだとした場合
(‥ )分かった/分かりやすいって
科学という視点からすると
めちゃくちゃ危険な言葉じゃ
ねーかい?
∧∧
( ‥)テストする、検証する、確認する
確かめる、試して見る、そういう
事柄がすっぽり抜け落ちた
概念かもしれませんね。
考えても見れば、科学のスタンダードに稚拙にも戦いを挑む連中は、「科学が唯一の真理であるわけではない」としばしばいうのであった。
∧∧
( ‥)真理、それはある一定の答え
ある一定の動作、事柄ですね。
(‥ )テストという概念がない。
科学が唯一の真理ではない、という時点で、僕ちゃん科学を理解できていないぴょん、と大声で言ったも同然。真理とされた数々の理論を次々に破壊してきた学問、それが科学であって、科学はそもそも真理などではない。むしろ絶え間ない創造と破壊だ。
言い換えるとこうではないか? 科学とは「分かった」以上のものである。すると、分かった、を主眼に置く以上、科学を理解すること不可能。
そして考えても見れば、一般の啓蒙書だのサイエンスライターの書いた本だの読んでいる人は教科書や論文を読まないのであった。
∧∧
( ‥)でっ、時々、悪いのにひっかかって
その著者の主張を模倣するだけだと。
それが分かった、であるのだと。
(‥ )そこには「この著者の主張は面白いが
本当に妥当だろうか?」という疑問、
それを確かめてみよう、原著に
あたってみよう、テスト/検証しよう
という動作が欠けている。
∧∧
( ‥)まあ、普通に楽しんでいる分には
仮に結果的に間違っていても
問題ないんですけどね。
(‥ )例のあれ*にしても、ああいう主張を
聞いて、「へー」って思った人の
大部分は、いや、メンデル遺伝だから
不利な遺伝子でもストックされるよ、
という話を聞いても、やっぱり
「へー」
だと思うのよね。
ようするにそれは無関心なようでいて健全なことであるし、トリビアであるし、好奇心でもあるし、楽しんでいるのだ。実にまっとう、人生とは必然的に苦闘である一方で、大いなる遊戯でもあるべきだ。サービス残業は確かに意味ねーよ。
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( ‥)でも一部の人はそうではないのだと。
( ‥)分かったと信じ込むのだ。
まあ、分かった、という単語自体が
先に申し述べたように、
そういうものなのかもしれないが。
おまけにそういう連中に限って怠け者で、正しいと思い込むだけで本当に正しいのか確認しない。
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( ‥)でも、分かった、という言葉自体
そういうものであるのなら、
その動作はむしろ必然。
(‥ )プログラムのインストール完了しました
分かったには、それ以上の意味も意義も
ないのかもしれない。
もちろん、そこにはプログラムの性能などに関する要素はない。
真面目に考えると、極めて危険な単語。分かったには好奇心も遊戯性もなく、むしろ下らないあきらめがある。