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2015年4月9日木曜日

知性で世界を理解、制御しようとは愚劣

 
 賃金の低い会社はなぜ忙しいのか?
 
 それは馬鹿が多くて効率が悪いからである。
 
 まあ、そんなことはない。知能なんていう概念を説明に用いる必要はない。
 
 人件費を安くしないと成立しないとは採算が悪い分野なのだから、人件費を削るだけでなくサービス残業を強制してくるだろう。
 
 賃金が低ければ忙しいというのは当たり前だろう。
 
 つまり、低賃金の職場は底辺だから馬鹿だらけで効率が悪いとか、そんな説明を持ち出す必要はなかろう。
 
 ∧∧
(‥ )なんていうのですかね
\‐  言い換えれば
    馬鹿...
    これは学業の成績が悪い
    そういう意味だとしますけど
    成績が悪いことで
    仕事の効率が悪くなるのは
    よっぽどのことだ
    ということですかね
 
  (‥ )そういえば昔
      一時だけど会社にいて
 
 その時、同期だったヤンキー上がりの高卒の彼がある日、頭を抱えて訴えるのである。
 
 今度入った奴が分数を理解できないんだよ、どうしよう、と。
 
 ∧∧
( ‥)分数計算ができない
    とかではなくて
    3分の1とかが
    そもそも分からないと
 
   (‥ )彼が指示しても
       新入社員がそれを
       理解できなくて
       おかしなことをするから
       困っちゃったらしいよ

 
 フォークリフトで倉庫内部の商品を配置し、あるいは搬出する作業である。1パレットの3分の1とか2分の1とか、そういう指示が出るのだ。分数計算どころか、分数という概念すら知らないようではさすがに困るのである。
 
 *それを考えれば、分数計算ができて、好きな音楽のジャケットや酒やタバコの銘柄の英語が読める。ヤンキーだろうがなんだろうが、それで十分エリートなんだとも言える。義務教育とはたいしたものなのだ。
 
 ∧∧
(‥ )最近はなんですか?
\‐  マイルドヤンキーとか
    学力が極端に低い
    低賃金労働者の存在に
    衝撃を覚える人も
    いるみたいですけども
 
  (‥ )そんなの昔からいるんだよ
      この話だって20年前だ
 
 自分が高校時代の時だって、あの高校の生徒は分数計算ができないとか、そういう話はあった。これだと30年前である。結局、分数も理解できない人間がいるという事実は、昔から何も変わらない。
 
 ∧∧
( ‥)さすがに分数計算ができないと
    作業効率は落ちますか
 
  (‥ )まあこういうのが
      成績の悪い人間が
      組織の効率を落とす
      具体的な例なんだがな
      考えてみれば
      成績の悪い一部に
      足を引っ張られるのは
      相対的には
      どこでも起こることよな
 
 例えば全員が分数計算が出来る会社で必要なのは、二次方程式を解く能力かもしれない。その会社では二次方程式を解けない人間が入社したら効率が落ちるだろう。
 
 あるいは全員が所定時間に2万文字を読みこなせることが普通の会社では、2万文字を正しく読めない人間は会社の効率を落とすだろう。
 
 それを考えるに、底辺で馬鹿だから効率が落ちるのだ、というのはそもそも現実的な仮定ではないのかもしれない。

 人間がそれぞれの学力に応じて集合を作るのであれば、それぞれの集合は、それぞれの能力に応じた仕事を受注することになる。つまり単純で理想的な状況では、どの集合もその平均的な能力に見合った作業を行なう。それゆえ、行なうべき課題の難易度が違っていても、作業効率はどこでも同じになりうる。さらにそれぞれの集合の作業効率はあくまでも平均の話であって、どの集合でも、その集合における平均以下がいるであろう。彼は必ず皆の足を引っ張る。だとすると、集合ごとにおける足のひっぱられ度合いは、どこでも同じだということになりうる。
 
 以上を考えると、底辺は馬鹿だから効率が落ちるのだ、という見解は極めて怪しいのではなかろうか。実際、賢さを標榜する企業や集団が馬鹿っぽいことをしているのはよく見かけることである。
 
 
 

 *そういえばマイルドヤンキーって小説1984年に出てくるプロールと同じだ! とか言ってた人がいたと聞くが、そもそも1984年のプロールというかプローレとは、プロレタリアート(労働以外に売り物がない人々)の意味で、その省略である。プロレタリアートというと、イギリスでは貴族たち上流階級と一線を隔てて決して交わることがなく、言葉の発音さえも違う下層民のことだ。マイルドヤンキーうんぬんなんてどうでもいい話で、世界は最初から階層制なのだ。
 
 **1984年の作者オーウェルはマルクス主義の理想を追求して自分もプロレタリアートになるんだと貧民窟に出かけて生活したが、結局、プロレタリアートにはなれなかったのであった。もちろん、プロレタリアートは革命なんか起こしはしないし、理想の社会主義国家など到来しなかった。あるのはスターリンの独裁体制下にあるソ連だけである。
 
 ***この挫折とプロレタリアートに対する失望は、彼の作品、動物農場でも1984年でも出てくる。強大な力を持つ馬のボクサーはその気になれば革命を私物化して暴政を振るう豚や犬たちを一掃できるのだが、それをしないまま老衰で倒れて、そして売られてしまうのである。老いぼれた彼は無用なものとして殺されて煮られてしまう運命だ。あるいは、1984年において賢明なる同士オブラエインの口を通じて語られるプロレタリアートの評価とは、彼らはアルゼンチンの野に放たれて草を食む牛である、というものであった。
 
 ∧∧
(‥ )考えてみれば
\‐  えらい言い様だよね
 
  (‥ )まあオーウェルの場合
      本人の挫折があるから
      重みはあるけどな
 
 ただ、知性で世界を操作しようとした、そのマルクス主義の試み自体が大失敗であったことを考えると、動機の是非はともかく、知性で世界を制御し、知性で世界を語ろうとするのは愚劣の極みであったかもしれぬ。
 
 これはhilihiliのhilihili: 知能は存在しない ゆえに説明から排除するべきであるの続き
 
 
 
 

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