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2015年4月9日木曜日

極微の事例はマクロな組織の動態を説明しない

 
 そういえば先日はNHKの業務委託を受けた、とか言う人間が受信料について訪ねてきたのである。
 
 ∧∧
(‥ )テレビないって言ったら
    帰ったけども
 
  (‥ )4月に人間の出入りが
      あるから
      新住人かどうか
      確認に来たのだろうな
 
 NHKのやっていることは駅前で歌っている流しが、お前、俺の歌聞いたろ? 金払えよ、と通行人から金をせびり、いやだと言うと、訴訟するぞ! と恫喝すること。あんな商売をしていては人も組織も駄目になろう。因果関係がない状況における実績とは、幻想でしかない。しかし人は実績を実力と思い込む。これは錯誤というよりも錯覚でしかないのだが、これゆえに人は際限なく堕落する。無様なことだ。
 
 ∧∧
(‥ )ありあまる金で
\‐  すばらしい番組を作る
    そういう意見もあるけど
 
  (‥ )映像の20世紀だかかな
      この頃ソ連は
      スターリンの指導で
      多民族が共生する社会に
      なっていました
      そうやって
      スターリンの
      プロパガンダ映像を
      さらっと仕込んだりする
      連中だけどな
 
 
 少なくとも、やばい奴が紛れ込んでいること疑いない。あのようなもの、素晴らしいなどと評価するに値せず。
 
 ∧∧
( ‥)報道とは必然そうなると?
 
  (‥ )フリーは金がないから
      売るために嘘をつく
      組織は金があるが
      その条件で自分を
      最適化するには
      仕事をしてはならない
      だから何も作れない
      残るのは信念で
      犠牲を顧みずに
      仕事をする奴らだが
      信念は妥当性を保証しない
      むしろ
      信念は事実をゆがめる
      捏造でもなんでもするよ
 
 正しさを信じるから人は歩める。しかし、正しさのためなら人は捏造する。昔、マルクス主義者がよくやったことだ。
 
 これは、正しさが正しさ自身を保証できないから起こるできごとだ。正しさとは存在自体、概念自体が自己矛盾だとも言える。端的に言えば、正しさを求めることは正しいことではありえない。

 これは広く言えばコミュニケーションの問題であって、この概念にはサイエンスコミュニケーションとか言うたわ言も当然入っている。ようするにサイエンスコミュニケーションなんていう馬鹿話は絶対的に成立しえない、そういうことだ。
 
 ∧∧
(‥ )確率論的には
\‐  この障壁を越えて
    飛び出てくる
    事例があるのですけどね
 
  (‥ )例え話的に言えば
      量子論だよな
      たまたま金があって
      たまたま自由に出来て
      たまたま仕事の話が来て
      たまたまひらめいて
      たまたま本に出来た業績が
      壁を突破して
      長く金字塔になって残る
      そういう事例だな
 
 だが、こんなことはあくまで例外的な事例である。極微的には起こりえるが、マクロの組織ではこんなことは生じない。それは無視出来るもので、マクロ世界には影響を及ぼさない。
 
 端的に言えば報道だろうがコミュニケーションだろうが、科学コミュニケーションだろうが、それが組織的で、あるいは大きな運動になることを想定する以上、これらは原理的に馬鹿話にしかならない。極微な出来事を巨大化することは不可能である。このことを認識できないようでは論としては問題外だ。考慮するに値しない。
 
 
 
 
 
 

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