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2013年9月24日火曜日

本はテーマという多面体の切子面を代表する

 
 寝て起きたら、日付は変わり、もはやスーパーは閉まっている時間
 
  (;‐ ‐)うー、またコンビニ
        ですか
 
 ∧∧
( ‥)高いけど、まあ、
    しょうがないね
 
 なんかコンビニって駄菓子屋だよな、と思いつつ、見たら駄菓子も置いてある。
 
 そうか、駄菓子屋みたい、じゃなくて、駄菓子屋なのか。
 
 ふと思い出した。駄菓子屋にいった記憶ってないなあ。
 
 ∧∧
( ‥)小学校の近くに駄菓子屋が
    あったでしょ?
 
  (‥ )あったのは覚えてる
      買ったような記憶もある
 
 だけども、あの駄菓子を食べたいとか、この駄菓子、懐かしいなあ、とか、今にして思えばあれはひどい味だった、とか、そういう思い出が一切ない。
 
 ∧∧
( ‥)買ったことはあるけど
    興味がなかったと
 
  ( ‥)アゲハチョウの幼虫を
      育てるためにカラタチの
      葉っぱが必要で、
      それをむしりに夏休み、
      学校まで自転車で出向いた
      そういう記憶は
      残っているからな
      そういうことだろうね
 
 以前、ネットで見たのである。誰が言ったか、こんな内容。

 小説を書くのはあの時の自分を救いにいくためであると。
 
 ∧∧
( ‥)あなたは小説家じゃ
    ないけどもね
 
  ( ‥)でも、同じだな、
    ‐□ 自分がかつて
      欲しかったものを
      今、書いているのだ。
 
 深海生物の本を書くことが多いけども、それだって同じだ。あの時、自分が欲しかったものを書いている。
 
 ∧∧
( ‥)反対に言うと、世間の人が
    興味を抱く深海生物に
    ついては書く気がないと
 
  (‥ )皆無ではないけど、
      あまりないねえ。
      もちろん、それなりな
      理由もあるんだけどね。
 
 例えば、世間の人が興味を持つ深海生物。実は書く事が無い、そういう場合が非常に多い。
 
 ∧∧
( ‥)皆さんが興味を持つのは
    でっかい、おっかない
 
  (‥ )そういうのって
      捕獲も保存も難しくて
      必然的に情報が
      少なくなるんだよな
      産業になる魚種でもなく
      そもそもそう簡単には
      採取できないわけだから
      研究もされない。
 
 あるいはでかくて目立つ標本なので、あっという間に保存液に浸けられて公開されてしまう。これではますます分かりようが無くなる。そういうこともある。
 
 ∧∧
( ‥)例えば内部構造の資料が
    見当たりません。
    きれいな標本にしたいせいか
    解剖されていないものも
    ありますよね。
    でも、解剖しないと
    当然、食べてるものも
    分からなくなる。
 
  ( ‥)反対にダイオウグソクムシ
      みたいに、よく採取されて
      いるはずなのに、
      ほとんど論文が
      見当たらなかったり...
      あれに関しては、もはや
      リサーチのアプローチ
      それ自体を変える必要が
      あるだろう
 
 という深刻な理由が以上のように実際にある。

 とはいえ、
 
 ∧∧
( ‥)でも、あれでしょ?
    興味ないんでしょ?
 
  (‥ )資料がないから興味ない
      とも言えるけども、
      でもあれね、
      オンデンザメとか
      リュウグウノツカイ、
      ダイオウグソクムシ、
      あれらの魅力を引き出す
      ためには、
      最低限、深海生物という
      カテゴリーから離れるべき
      そんな感じかな
 
 あるいは、少なくとも、本の形式をまったく変える必要がある。まあ、結果的に言えば同じなのだ、その本は深海生物を取り扱ってはいるが、深海生物の本ではなくなる。
 
 ∧∧
( ‥)でも、結局は興味が
    ないのだと
 
  ( ‥)そうだねえ、少なくとも
    ‐□ 大きな動物が、
      怖かろう〜〜〜と
      並んているだけの本は、
      自分が子供の頃にでも
      興味が持てなかったろうな
      そして今の自分も
      そのままでは
      興味が持てない
      そういうことだよね。
 
 ∧∧
( ‥)そして確率的にはどこかにいる
    しかし、実際には
    実在する保証のない
    あなた自身のために
    本を書くと。
    でも、それは、
    他の読者からすれば
    許しがたいのでは?
 
  (‥ )いやあ、本ってのは
      前もいったように
      そういうものさ。
 
 本は色々な動機で、色々な人が、色々な視点や色々な立ち位置、あるいはアプローチで書くものなのだ。同じジャンル、同じ分野、同じテーマの本に見えても、実際には本は平面でしかなくて、”本が扱うテーマ”は本自身よりも次元の高い多面体のような存在だ。テーマとは、切子面が無数にあるガラス玉のように考えてもいい。1冊の本は多面体が持つ、無数のうちのたったひとつの”側面”を代表したものに過ぎぬ。
 
 深海生物を扱った本もそうだ。どれも深海生物の本ではあるが、実際、手にすればどれも全部互いにばらばらである。
 
 考えてみれば当たり前だ。深海は地球上で最大の生物圏で圧倒的に広大な空間だ。その空間に、大陸ごと地上のすべての動植物を塗り込めてしまえるし、それでもなお広大だ。そんな広大な世界とそこにすむ生物群をただの1冊で概要だけでも知れると思っているのなら、それは見通しが甘すぎる。
 
 ∧∧
( ‥)だから自らが望む知見を
    手にしたいのなら、
    同じテーマだから
    どれも同じ内容だろう
    そんな思い込みは捨てて
    ありうる無数の面の中から
    自分が望むものを代表する
    切子面たる本を探すべき
 
  (‥ )あるいは片っ端から読んで
      知見を総合すべきなのだ。
      一冊読めば全部分かる
      そんなことありえない
      からね。

 
 だがどういうわけか、一冊読めば欲しい情報が手に入る、そう思い込んでいる頭でっかちがしばしばいる。そういう奴に限って、自分が本を読めることを自慢して、本を読まない人間を馬鹿にしてたりする。しかし、一冊読めば分かるだろう、なんて思い込みを持っている方が、実はたちが悪いし、いかれてるのだ。
 
 同じジャンルの本を、10冊、100冊、あるいはもっと読めないと、欲しい情報なんか手に入りやしない。そりゃあ当たり前なのだ、ひとつの切子面を見ただけで、テーマなりジャンルなり、そう呼ばれる多面体の全容を把握できるわけがない。
 
 ∧∧
( ‥)本を読んで探すなら
 
  (‥ )果てしなく探さないと
      駄目ね
      多面体のすべての側面を
      網羅せよ、とは言わないが
      近い事はしないといかん
 
 可能な限り、切子面を探索せよ。さもなければ失望しか手に出来なくなるだろう。
 
 実際、書評サイトとかを見ると、大概はばらばらに読んだあげく、何も知る事が出来なかった、手に入れられなかった、そういう失望の塊になっているようである。
 
 
 
    
 

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