つまるところ温暖化懐疑論は(原則的に)見るに値しないしだろうし、そしてそこには嘘や勘違いが大量にあるんだろう→*
∧∧
(‥ )でもあれですね、エコや温暖化脅威論にも
\- 雑な話や勘違い、思い込み、嘘が混じっているじゃないか!!
そう言われるかもしれませんね。→*
(‥ )そうねえ、だからより正確にはこうかな
温暖化懐疑論も温暖化脅威論も、どっちも科学そのものではないだけに、現実から乖離気味?
*注:ここでいう「温暖化脅威論」とは、”温暖化を止めるための社会的なムーブメントを起こそう”という積極的な行動そのもののことで、論文や仮説、妥当性の追求のことではない。
あるいは、こう言えばいい?
温暖化と化石燃料の燃焼による二酸化炭素の増大との間における因果関係の妥当性。理解すべきはそれであって、それを知ればいいだけの話。そしてそれを論じるのは仮説の妥当性を論ずることであるのだから比較が可能
しかし、そこから一歩はずれて、保護する、阻止する、無視する、反発するとなると、それ自体は信念の話であって、それをそれ自身によっていくら正当化しても意味がない
(*宗教と同じでお互いの比較はできるが、その比較と正当化自体には意味がないんじゃねーの? という意味)
∧∧
( ‥)論ずるに値しないと?
(‥ )論ずることに意味がない、と言えばより正確。
でもこう尋ねられるんだろか? 温暖化を止めないと大変なことになるのに、あなたは何をやっているのですか?? 温暖化を止める活動をするべきではないのですか??
∧∧
( ‥)問われたら、あなたはなんと答えます?
(‥ )化石燃料の使用が経済的に優位な状態で
二酸化炭素の排出量を減らす緊急性が
求められた時、どの選択肢が有利であると
人々は推し量るだろう?
選択肢はたぶんこんな?
1:率先して排出量を削減する
2:削減を可能な限り引き延ばす
∧∧
( ‥)排出量を減らせばコストがかかる
さりとて削減を引き延ばしてもコストが
かかりますよ?
(‥ )しかし、それぞれのコストが等価だと
人々は判断するだろうか?
:排出量を減らせば今すぐ困る
:削減を引き延ばせば、将来困る、かもしれない
(‥ )排出量を減らした場合のコストは
比較的簡単に算出できそうだよね?
∧∧
( ‥)削減の引き延ばしと、温暖化による農業や社会に対する
-□ ストレスと、その結果にともなうコストは
どう計算したらいいんでしょうねえ???
人間が直近の未来で、なおかつ具体的なコストの方を高く評価するとした場合、さて、人々は以上どちらの選択肢を利益ありと見なす?
∧∧
( ‥)2の「削減を可能な限り引き延ばす」、
を取るだろうと・・・・
(‥ )たぶんそうだし、事実としてそうじゃね?
さらに、2の選択肢をとる集団がいた(実際にいる)場合、1の選択肢をとるのが(状況にもよるが)割に合わなくなる。俺たちが頑張って無理しているのに、奴らが2を選択したら意味ないじゃんよ、となるから。
ようするに、1を選択した人々が、2の選択肢をチョイスした人間達におんぶお化けされている状態なので、不満が高まるだろうと予測。
というか事実そう?
∧∧
( ‥)だとしたら余計に選択肢2はチョイスされないと。
(‥ )場合によっては選択肢2をチョイスしたこと、
そのこと自体を放棄するかもね。
だから信念や感情を抜きにして、科学と経済(というか日々のそろばん勘定)から温暖化と社会の話をすればこう?
:温暖化と二酸化炭素の増加には因果関係がある
:しかし人間は削減を可能な限り引き延ばすことを選択する
∧∧
( ‥)つまりあなたは温暖化懐疑論にも温暖化脅威論にも
興味がないと?
(‥ )むしろ、ざっくりと言うと、懐疑論も脅威論も
現実をうまく説明できずに現実から乖離して
しまった状態であるから、ゆえに採用しない、
ということかな。
:率先して削減することに不満だからといって、手堅く論証された因果関係までも”てきとー”に否定する必要はないでしょう
:脅威に対して率先して削減すべきだといっても、人間はそんな論理と動機では動かないし、事実として動作していないでしょう
要するにたぶん、どっちも現実の説明に失敗している。
∧∧
( ‥)だから
( ‥)どっちも採用できない。