暇つぶしでアリストテレスの自然学を読んでいるけども
∧∧
(‥ )何度読んでも
\− 意味がわかりかねる
内容ですけどね
(‥ )基本的に言葉遊びの
域を出ていないからな
人間は主語と目的語を使う。だからどうしても、目的をもって何かする、という文章で語ってしまう。そしてアリストテレスはそういう人間の束縛をそのまんま自然の考察に適用した。だから現代人からすれば緻密であると同時に稚拙な言葉遊びの域を出ないのであった。
∧∧
( ‥)でもアリストテレスって
知的を気取りたい
現代人には
重宝されるべ
(‥ )紀元前4世紀の
おっさんの言葉遊びは
無学な現代のおっさんには
ちょうどいい
レベルだからな
そりゃあ重宝されるべ
とはいえだ、現代人から見れば言葉遊びの域を出ない児戯に等しい理論であろうとも、大の大人が考えた体系である。内容が稚拙でも構成は緻密だ。
そしてしかし、奇妙なものでもあった。
∧∧
(‥ )アリストテレスさんの考察の
\− 奇妙な部分のいくつかは
...多分、ギリシャ語のくせに
由来するものだよね?
日本人には?と思える部分は
多分そうだよね
(‥ )でもそれだけじゃない
奇妙な部分があるのだ
例えば彼は運動には終わりがあると言う。
これかなり奇妙な世界観だ。太陽と星座と星と季節はめぐり、穀物は実って冬が来て、再び種をまいて次の収穫を迎える。
世界中のどの文化圏を見ても、循環という考えが一般的ではないのか?
∧∧
(‥ )でも終わりがあると
\− 彼は言うんだよね
これかなり変だよね?
(‥ )なんだろうな?
運動を考えると
無限に直面するから
それを回避した
ギリシャ数学の影響を
受けてるのかな?
彼の原因に対する理解も妙ちくりんであった。まあこれは因果という考え方を持つ仏教の影響を持つ我々と、古代ギリシャ人の違いだとも言えるかもしれないが...
∧∧
(‥ )でもアリストテレスさんの
\− 言う原因って
僕らの言う
原因とか因果関係というより
構成要素に近いよね
なんというかな
すごく静的な印象が
あるよね
(‥ )なんだろうな?
これも運動を回避した
結果かな?
私たちは流転とか因果とか輪廻で物事を考える。結果的にこれは原子論の世界観に近い。
そしてギリシャにも原子論はあった。というかそもそも原子論を考えたのは彼らの一部だし、その発想は流転に近かった。
∧∧
( ‥)ギリシャの豊穣神
デメテルの神話も
あれは循環だよね?
それを考えると
流転や循環の要素が
希薄なアリストテレスさんは
むしろギリシャの中でも
変わっているのでは?
というか変人?
( ‥)なんだろうね?
−/ 彼のこの
動きのない世界
無限を拒否する
世界観は
アリストテレスの体系は、奇妙に静かなのである。