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2015年6月7日日曜日

テレスクリーンはべらべらしゃべる

 
 その人は一人暮らしで、独り言が多くなっていた。自分の話をずっとしゃべり続けるのである。
 
 ∧∧
(‥ )まあ話すことがたまって
\‐  いるのでしょう
 
  (‥ )そりゃそうだな
 
 
 その人は静かなことに耐えられなかった。部屋にはずっとラジオがかかっていたし、寝る時もそうであった。あるいはテレビをずっとつけっぱなしにしていた。
 
 ∧∧
(‥ )人間は社会生物だからね
\‐  一人で生きていくように
    進化的に設計されては
    いないわけだし
    他人の声やおしゃべりが
    必要だってことだね
 
  (‥ )そりゃあそうだろうな
 
 テレビの中では馬鹿みたいにアナウンサーやコメンテーターがひっきりなしにしゃべりつづけている。
 
 無論、テレビはこの場合、人々の雑踏を擬似的に再現しているにすぎない。寂しい時、テレビは周囲に人がいるという擬似的な安心感を与えてくれる。しかし、片方が一方的にしゃべりまくる風景自体は、かなり異様でもある。
 
 
 小説「1984年」
 
 あの中ではテレスクリーンというものが出てくる。受像機なのだが監視カメラでもある機械で、各家庭に必ず据え付けられており、政府の広報がひっきりなしに流れて、人々はすべて監視されている。
 
 ∧∧
( ‥)1984年のテレスクリーンは
    英国の作家バージェスさんに
    いわせれば
    テレビのパロディだそうですね
 
  (‥ )1984年自体
      WW2末期における英国の
      パロディだからな
 
 小説自体は戦後間もなく書かれたのだが、当時はテレビの前で服を脱ぐのを恥ずかしがった人もいたそうだ。
 
 ∧∧
(‥ )考えてみれば当たり前だよね
\‐  他人が写っているのだからね
 
  (‥ )監視機能はないけども
      テレビから
      視線を感じたのだな
      そういうテレビへの
      思いに
      監視機能をつけて
      全体主義的に味付けすると
      テレスクリーンになる
 
 その意味では、ずっとひっきりなしに声を上げるラジオやテレビは1984年的だとも言える。
 
 別にラジオやテレビが全体主義の手先だというわけではない。そもそも1984年自体、マルクス主義者だった作者オーウェルの挫折、プロレタリアートへの失望、仲間であるはずのスターリンの独裁制と左翼知識人の二枚舌ぶり、WW2末期の生活と困窮とV2ロケット弾、未来への空想、そういう諸々をごちゃまぜにしたものだ。
 
 テレビとテレスクリーンも、そういうひとつの要素として小説に加えられたにすぎないのだろう。
 
 ∧∧
(‥ )でもずーっと一方的に
\‐  のべつまくなしに
    しゃべっているとか
    他人の見解だけを
    聞かされるとか
    そういうところは
    テレスクリーン的かもね
 
  (‥ )まあそもそも
      テレスクリーンが
      テレビ的なんだが
      一方的にしかもずっと
      相手の見解を
      聞かされるというのは
      考えてみれば
      おかしなものだよな
 
 確かにテレビでもラジオでも、視聴者のご意見、お手紙、ファックスを取り上げますとかがある。
 
 しかし、ずっと一方的にしゃべりまくる娯楽がこれほど大きく発達したのは、人間の歴史の中ではかなり珍しいかもしれない。
 
 それを踏まえれば、一方的にしゃべりまくるだけの立場の芸人たちがインテリをきどるのは恥知らずの極みだ。彼らは文化人を気取っているが、意見を聞かずに自分の見解を押しつけることを恥とも思わぬ、ただのいかれた煽動政治家たちである。
 
 ∧∧
(‥ )それを考えると
\‐   ネットは革新的だった
     とも言えるし
     テレビ以前の世界への
     回帰だともいえるかもね
 
  (‥ )代わりに本と同じで
      能動的にならないと
      どうにもならんのだがな
 
 その点では狩猟採集生活に戻ったのかもしれぬ。
 
 ∧∧
( ‥)ようするにネットというのは
 
   ( ‥)芋探し、芋掘りと
     ‐/ 同じだよなあ
 
 探せば見つかるが、探さないと見つからない。
 
 そればかりか、ただ探しているだけだと自分の知っている芋ばっかりが見つかるし、内容も理解も偏る。
 
 ∧∧
(‥ )ネットはめんどうくさい
\‐  メディアですなあ
    自分で探せと
    おっしゃいますか
 
  (‥ )探索か...
      人との会話は
      娯楽でもある
      ネットは娯楽探索に
      労力をかけねばならん
      これは容易なことでは
      ないよね
      その点では本来
      ネット出現後も
      テレビは娯楽において
      無敵であるはず
      なのだがな
 
 だが、実際にはネットによってわずかに食われただけで、テレビは娯楽性を大幅に失ったようだ。
 
 多分、テレビが極端な格差社会だったのが問題なのだろう。わずかな損失から貴族である正社員や古びた大物芸人を生かすために、若手にしわ寄せを行い、彼らを使い捨てるという手を取った。これだけで人材は摩耗し、娯楽力は大幅に削ぎ落ちる。
 
 残るのは無駄に金を使うが能力のない飼いならされた貴族だけとなる。これではただの金食い虫の集団で、娯楽など作れるはずがない。
 
 まあ、しかし、その方が良いのだろう、一方的にしゃべりまくってドヤ顔しているなんてまともなことではない。テレスクリーンが凋落していくことは良いことだ。
 
 

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