自己紹介
- 北村雄一(北村@)
- イラストレーター兼ライター 詳しくはhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili あるいは詳細プロフィール表示のウェブページ情報をクリック
2015年1月26日月曜日
人間は両極端であるべきだ 氷山の腹か阿呆なペンギンか
amazonの進出で書店が消えていく
∧∧
(‥ )まあ合理化だね
\‐ amazonは便利だからね
(‥ )自分も
書店で本を買うことは
もうほとんどないからなあ
検索する。見つける。amazonで発注する。
発注された本が届く。本の末尾に引用文献が載っている。その論文を探す。
論文に引用文献と書籍が載っている。それをamazonに発注する。
本を読む、検索する、論文と書籍を見つける。論文の引用文献と書籍を...
ただこれの繰り返しだ。
∧∧
( ‥)googleとamazonの登場は
画期的でした
( ‥)一昔前に比べると
‐□ 情報の探索は
格段に向上し
効率化されたのだ
googleとamazonの登場は強烈なインパクトを持っている。特にamazonは巨大な倉庫を持っていて、膨大な商品を抱え込んでいる。通常のものであれば、よほど特殊な物でない限り、ほとんどすべての客の発注と受注に答えることができる。
∧∧
(‥ )通常の書店でこれに
\‐ 対抗できるのは
ほとんど無いですよね
ジュンク堂とか
それぐらいですかね
(‥ )理由はそれだけでは
ないけども
町の書店とかが
消えていくのは
当然だよね
まあ、町の書店が消えていく理由はそれだけではない。そもそも20年も前から徐々に、しかし確実に、次々に姿を消していったのだ。amazonとgoogleの登場以前から続いていたことなのだから要因がそれだけでないこと明白だろう。
*20年以上前、関東に上京して以来、近隣沿線の本屋はほぼ網羅していたけども、それらの中で現在も生き延びているのは本当にわずかとなった。半分以下どころか、多分5分の1とかそのぐらいになっているだろう。
∧∧
(‥ )とはいえamazonやgoogle
\‐ あるいはtumblrとか
そういうものの出現が
強大なインパクトを持つこと
まず疑い無し
(‥ )携帯電話の出現も
大きいよな
もう誰も彼も
iPhoneで何か見ておる
それでもなお、今でも本を読む人がかなりいること、それは電車に乗れば分かることでもある。確かに紙の本は電池切れが起こらないし、扱いやすい。そういうわけで紙の本が存続すること、これ自体は疑いない。
∧∧
( ‥)問題は市場が縮小すると
色々大きな影響が
出てくることだよね
( ‥)縮小するなら
‐□ それはそれまで
所詮はそんな程度の
ものだったのさ
そう知ったかのように
言う連中もいるけどな
そういう連中は
物を作ったことがない
連中よ
物作りを支えるのは膨大な無駄であり、それはくだらないものであり、野卑で下品なものだ。
描き損じから完成品が生まれるように、試行錯誤の膨大な駄作から傑作が生じるように、あるいは人生を次々に焼却炉にくべるがごとく、無数の漫画家を消費する中から飛び抜けたものが生まれるように、あるいはエロから至極のものが誕生するように
くだらないものこそが基礎となる
すなわち、底辺こそが基礎なのだ。
そういう膨大な底辺があるからこそ、もっとまっとうなものを作る余地が出てくる。
大きな塔も基礎がなければ、高く立つことかなわぬ。
∧∧
(‥ )底辺が縮小すると
\‐ まともなものも作る
余力すら失ってしまう
(‥ )漫画を規制しよう
クールジャパンを
きれいなものだけに
変えてしまおう
そういうことを考える
お上品な連中の言い様が
馬鹿っぽいのも
これが理由よ
例えばエロを規制された文化に想像力など出てくるわけがない。
*出てくると言えば出てくるが、それは規制をかいくぐるためのアイデアであって、それ自体は面白いが、苦肉の策でしかないとも言える。例えば役者絵が禁じられたので、これは土壁に描かれた落書きを写生したものです、と称して釘でひっかいたような役者絵を描いた江戸時代の事例。
つまり底辺を縮小させてはいけない。
底辺が基礎である以上、下らぬと切って捨ててはならぬ。
そしてまた、底辺の縮小を見て、ざまあ見ろと高みの見物をしていても駄目だ。
それは必ず、自分の足下をも浸食してしまう。
それが分からんというのなら、そいつは物作りをしたことがないし、これから先、上を見て飛ぶことなどできまい。新しいアイデアを作り出すこともまたできまい。何も作れぬ彼は批判し、罵倒し、くだらぬとののしり、そして規制することしかできぬ。お前の人生はすべてを衰亡させるのみに成り果てるだろう。
いや、すでになってしまったから、お前はその有り様なのだな?
∧∧
(‥ )町の本屋なんか
\‐ 売れ筋の馬鹿本しかないし
漫画は低俗だし
新書は馬鹿だらけ
質が低い本ばかり
こんなものが衰退しても
どうでも良いよ
そう言う人もいるよね
(‥ )そういう発言はしばしば
俺様は
こんなに高度な本を
こんなに買って
読んでいるのだ
馬鹿共とは違うのだ
こんなに金を
使っているのだ
どやあ!
そういう主張や自信と
セットになっているもの
なんだが....
要するにそれは、馬鹿共とは違う自分こそが文化の体現者でございます、そんな俺様が軽蔑するような文化など消えて当然でございます、という主張だとも言えるけども
∧∧
( ‥)それ自体が勘違いも
はなはだしいと
(‥ )だってさ
そういう連中が
自慢する本代って
話を聞いてみれば
年間に
せいぜい10万だ
たった10万円だぞ?
たかが10万円である。これなら年間に漫画だろうが雑誌だろうが、1000円使う人間100人と同じだ。
∧∧
(‥ )その人たちの割合が
\‐ 100対1だったら
年間に10万円を使う人は
出版界に落とすお金
その全体の
半分を占めるけども...
(‥ )1000対1なら
10パーセント
1万対1なら
1パーセントだよ
そして、少なくとも100対1なんてことはないだろう。そしてまた、漫画を何気に買う人間が年間に落とす金額が1人あたり1000円というのも少なすぎる仮定である。
実際、週刊漫画は年に4冊は新刊が出るが、1冊あたりの金額を400円としてもそれだけで1600円になる。文化人を自称する読書人とやらは、漫画を買う人を馬鹿だ低俗だと罵倒する。だがしかし、漫画を読む人々が出版界に落とす金額は、1人あたり年間1000円を越えることまず確実だ。
∧∧
( ‥)しかも圧倒的に分母が
でかい
( ‥)出版界を支えるのはな
‐□ 俺様は頭良いだろと
自慢するような
その手の
痛い連中じゃない
そやつらが罵倒する
漫画とかを読む人々だ
彼らこそが
出版界を支えているのだ
そうした膨大な売り上げを流用して、そこそこましな本を出す。単純化するとそういう仕組みであると言って良い。
氷山が海上に顔を出すには、水面下にある膨大な氷の塊を必要とする。そんなようなものである。
∧∧
(‥ )それを考えると
\‐ ”馬鹿部分の縮小”は極めて
深刻なのである
(‥ )全体の水没が
始まってしまうのだ
実のところ、日本の出版事情は順調であった時期から、かなりぎりぎりだったとも言える。
例えば曰く、出版社の人は漫画とかで稼いで、その余力でまっとうな本を出す、みたいなことを言うけど、だったら2万、3万という正当な価格で良い本を出せばいいじゃないですか。そういう意見もある。
∧∧
( ‥)これは確かに
正論なんだけども
うかつだと
(‥ )そういう本は
すでにあるからな
だけど
そういう本は英語なのだ
日本語でもそのような本が無いわけじゃないが、数があまりに少ない。しかし英語の本だとそういうものがもう少し普通に存在する。
なぜであろうか?
多分、答えは単純だろう。
∧∧
(‥ )英語圏は人口が多いから
\‐ 2万、3万でも一応は売れて
支出と収入がとんとんか
あるいは我慢できる
赤字ですみますよ、と
(‥ )実際、英語圏でも
苦しいっぽいのよな
この手の本は
すぐ絶版になるし
つまりどうも英語圏でもあっぷあっぷらしい。そういえば全世界で50冊しか売れなかった本もあるそうだ。その分野で必読だ、と言われるような内容であるにも関わらずにである。
だが、英語の本はまだ救われている。日本語の本ではそういうものすらそもそもない。あるいはそれに近い本を自力で出す余地がない。せいぜい英語のものを翻訳するのみである。だがしかし、使命感に基づいてそういう無理をしてきた会社は潰れた。
∧∧
( ‥)日本語という母集団と
分母の数では
そういう本当に高度な
専門書は
ペイできないのだと
(‥ )これは二つのことを
暗示しておるな
ひとつは、順調な時代からすでに日本の出版界はギリギリだったということ。日本語圏は氷山としては小さくて、必然、海面上に姿を見せている領域がわずかでしかなかった。このことを示している。
そしてもうひとつ。
自慢げに自分の読書歴をひけらかし、自分の知能を誇って漫画を馬鹿にするような連中。この自称読書人たちは、自分たちこそ知性の体現者、我こそ文化の担い手であるような顔をしているが、実際のところ本当に高い専門書には手を出していないし、それを維持する力にまったくなっていない。ただの口先だけの役立たずだったということだ。
∧∧
( ‥)そう言えるであろうと
( ‥)年間10万円程度では
‐/ 専門書を数冊買うのが
限界だろ?
そんな程度じゃ
自慢にはならんぜや
だいたい、そんなことでは課金ゲームやAKBの熱烈なサポーターにも勝てないであろうこと明白である。
つまるところ、読書人の存在とは、あまりにもちんけなのである。吹けば飛ぶような、取るに足らない存在だ。
たぶん、自分は頭が良い、漫画やラノベや最近の新書を読む奴は馬鹿だと他人を軽蔑して罵倒し、切って捨てるあまり、自分たちが手にする”すばらしく知的な本”とやらが、軽蔑されるべき底辺のがんばりで支えられていることに眼がいかなかったのだ。
これは高慢ちきで世間知らずの貴族的な発想だとも言えるし、精神論だけで必要不可欠な要素を切って捨ててドヤ顔しているブラック企業の経営者にも似ている。
∧∧
( ‥)しかも実際には
出版界にも
高度な専門書の維持にも
全然貢献していない
(‥ )読書人というのは
存在も頭の出来も
中途半端なんだよ
中途半端だから
上にいけないし
中途半端だから
下を馬鹿にすることしか
できんのだ
そういう意味では人間において必要なのは、賢しい連中ではなく、両極端の人々なのだとも言える。水に沈んで青く鈍く輝く氷山の大部分か、海上の小さな塊の先っちょにちょんと座ってぼけーっと周囲を見回しているペンギンか、そのどちらかであるべきだ。
そしてもしもペンギンになれるのなら、海に潜って氷山の腹をくすぐることもできるであろう。
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