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2014年7月17日木曜日

助け合いは報復と暴力がなければ成立しえない

 
 ∧∧
(‥ )動物界は弱肉強食なのに
\‐  現代社会はなぜ弱者を
    保護するのか?
    その質問に対して
    人間が種として持つ
    生存戦略は社会性である
    長期の生存が
    不可能なような個体
    つまり弱者であっても
    それを生き延びさせることが
    人類の戦略だと
    そういう答えが
 
  (‥ )あー、なんていうかな
      部分的には正しいけど
      明らかな誤謬があるよな
 
 というか、この理解は実のところ説明能力が不十分でしかない。そう言えば良いのか?
 
 例えば、飢餓に直面すると老婆を殺して食った民族の話がある。その理由は単純なのだ。イヌは狩りの役に立つが老婆は役立たない。極めて単純で合理的な根拠である。老婆は当然逃げるが追っ手に捕まり、連れ戻されて食われるのだ。
 
 ∧∧
(‥ )あなたがた人間は
\‐  ”役立たない弱者”を
    まず最初に食うのだと
 
  (‥ )これは非常事態の話だろ?
      そう説明することは
      可能なんだが
 
 しかし...以上のような言い様、人間が種として持っている生存戦略、これは強烈で均一な限定だ。
 
 これはつまり、”人間は工業製品のようなもので、弱者を保護するプログラムが一律的に組み込まれている”という主張に他ならない。
 
 ∧∧
(‥ )だが、弱者を保護する
\‐  プログラム搭載という
    工業製品的な説明は
    人間が弱者を
    切り捨てるという
    現実を説明できない
 
  (‥ )人肉食いどころか
      普通に起きている
      育児放棄や
      幼児虐待ですら
      説明できないわけよ
 
 いや、説明は出来るのだろう。そういう人は頭がおかしくなってバグっているのだと。
 
 ∧∧
( ‥)でも実際には
    育児放棄や子殺しは
    動物界では普通だからね
    つまり人間のやっている
    ことも”普通”だと
 
  ( ‥)この子育ては失敗だ
    ‐□ そういう状況下では
      育児放棄した方が
      ”合理的”であるからな
      そりゃそうなるよね
 
 人間も動物も大部分の種族は育児のチャンスが複数回ある。今の子育てが駄目だ、と思ったらそりゃあ放棄するだろう。実際、人間の育児放棄や子殺しも、話を聞けばそんな場合がほとんどのようだ。つまり彼らはバグっているわけでも故障しているわけでもない。単に合理的で論理的である。それだけの話。
 
 ∧∧
(‥ )でもあなたがた人類は
\‐  困った人を助ける猿でも
    あるんだよね
 
  (‥ )これ自体は
      非常に特異な
      性質だそうだよ
 
 チンパンジーも困った仲間が助けを求めると助けるという。だが人間は違うのだ。手を貸しますか? と自分から言う。
 
 ∧∧
( ‥)いわばあなたたち人間は
    おせっかいな猿である
 
  ( ‥)僕ら類人猿は本来
    ‐□ 森の中で果物とかを
      食べる種族でなあ
 
 このおせっかい焼きは、どうもサバンナに出た時に身につけた習性ではないかと言う人もいる。類人猿にとって過酷な環境である乾燥地帯に進出した人類の祖先は、助け合わないと生きてゆけなかったのだ。
 
 つまり、過酷な環境から加えられた自然淘汰によって、仲間を助ける、仲間から助けられる、という特性が淘汰された、そう言えば良いか。
 
 私たちは仲間を助ける特異な猿だ、そうでないとここまで存続してこれなかった。そのことは念頭に入れておいても良い。
 
 ∧∧
(‥ )でもいざという時は
\‐  弱者を切り捨てるのだよね
 
  (‥ )そりゃそうだ
      種なんてものは実在しない
      種という概念自体を
      放棄しなければ
      理解は前進しない
      これこそが
      進化論を成立させる
      基本的な条件でな
      そしてあるのは
      種ではなく
      ”自分にとって
      得になるかどうか?”
      それだけの話よ
 
 
 そもそも、助け合いとは、助け合いが得になるからこそ採用された行動なのだ。
 
 しかし、そうである以上、助け合いには恐ろしい側面がなければならぬ。実のところこういう行動は”あの時、あの人は私を助けてくれた/助けてくれなかった”という認識と記憶と判別があるからこそ成り立つ。

 前に助けられたから今度はこっちが助けよう。
 
 前に助けてくれなかったお前のことなんか知るかぼけ
 
 ∧∧
( ‥)おかえしと報復
    それが助け合いを
    成立させる条件だと
 
  (‥ )助け合いは
      報復の恐怖がなければ
      成立しない
      そういうことだろうな
      人間は工業製品ではない
      そうである以上
      助け合いに
      ただ乗りしようと画策する
      裏切り者が必ず出てくる
      これを排除しなければ
      助け合いが食いつぶされて
      しまうわけよ

 
 こればっかりはどうしようもない。人間は工業製品ではない。遺伝子にその行動と性格のすべてが司られているとしても、遺伝子には変異があるのだ。我々が完全に機械的な存在であって、魂も精神すら無いとしても、それでもなお人間が工業製品でないのはこれが原因だ。
 
 人間は均一な工業製品たり得ない。そして全員が違う。そうである以上、必ず助け合いにただ乗りを目論む”裏切り者”が現れる。
 
 ∧∧
(‥ )あなたたちは
\‐  他人の苦痛になんの感情も
    覚えない人間も排除するけど
    助け合いに便乗する人間も
    排除しようと
    監視の眼を光らせるよね
 
  (‥ )人間は助け合う猿だ
      だがその動作が
      成立するには
      ”自分にとって得だから”
      そういう前提がある
      だからお返しをし
      あるいは反対に
      報復を行い
      裏切り者を処刑するのだ
      実際、我々の動作は
      そのように振る舞っている
      そうだろう?
 
 一方、残念ながら、”人間が種として持っている生存戦略は弱者を助けることである”、こういう工業製品的な説明では、以上のような”豊かな結論”は出てこない。
 
 人間が弱者救済プログラムを搭載しているという説明から出てくるものは、弱者と想定されたものは人類愛に基づいて保護せねばならぬ、なぜならそれが人類の性質であって、彼を保護するのは彼が弱者と認定されたからである、そういう循環論法的で空っぽなスローガンだけだろう。

 *端的に言うと”人間は種として弱者救済という生存戦略を持っている”、という説明は、育児放棄や、あるいは”福祉ただ乗りやクレクレちゃんは排除するべきでは?”といった行動や意見を、それらはすべてバグであるとしか言えなくなる。そんな説明で良いのか? ということでもあるのだ。
 
 
 ちなみに、意地悪な言い様で重箱の隅をつつけば、冒頭の答えは実のところ質問に答えていないとも言える。少なくとも、”かつての人類は弱者を滅ぼしたのに、今の社会がそうでないのはなぜですか?”という質問に答えていない。人間が”弱者を保護するようにプログラムされている”というのなら、時代によって変化するわけがないからだ(近代社会になってから人類の遺伝子とその有様が急激に変化したなんていう事例はない)。
 
 ∧∧
(‥ )近代社会が弱者保護を
\‐  より大規模に行えるように
    なったのは農業生産が
    拡大したからでしょうね
 
  (‥ )讃えるべきは
      農薬と化学肥料
      そして品種改良だよな
      あれらは偉大な発明だよ

 
 
 
次へ続く=>hilihiliのhilihili: そこにあるのは多分、永遠の”べき”
 
 
*2014.09.08追記 以下へ続く=>hilihiliのhilihili: そして欲望だけが残った
 
 
 

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