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2013年5月28日火曜日

理解できない人は理解できないを理解する手がかりになりうる

 
 
 
  ( ‥)間違いを見つけられるのは
      自分がまだ生きている証
 
 ∧∧
( ‥)生きることが
    解探索の過程であるのなら
    そうでしょうね
 
 人間には妙な傾向がある。ように見える。
 
 
  (‥ )思い込みを無矛盾に
      組み上げたら
      それを真理だと信じ込む
      そういう特性。
      これが実は
      人類の知の歴史、
      理解の歴史、
      哲学の歴史、
      これらそのものに
      ほぼ近似ではないか、
      という恐怖
 ∧∧
( ‥)古代ギリシャ以来、
    事実としてずっとそうなのだ、
    とも言えますね。
 
 個人的にプラトンを評価するとすれば、彼がアトランティスを、おそらく嘆きと失望と希望と共に書いたことだけだ。
 
 そしてもちろん経験的に言えば、無矛盾で誤りない体系は自己完結しているだけのひ弱な存在で、世界に放り出されるとただちに死んでしまう。
 
 ∧∧
( ‥)でも? 
    論理>経験で考える真理の人は
    経験を取るに足らぬと無視して
    死ぬことを拒否すると。
 
 ( ‥)それを考えると、
     科学の世界に
     論理では扱い切れない
     ものを扱う技術と、
     統計学、因果関係の推論
     確率的な過程
     これらを導入した
     ダーウィンやヴォルツマンや
     フィッシャーたちは
     人類の歴史の中でも
     偉大な人々だったのだな
 
 
 ∧∧
( ‥)言い換えればダーウィンの
    進化論や自然淘汰説、
    性淘汰説を理解できない人は
    むしろ人間としては
    ”普通”の賢さでしか
    ないのだと
 
  ( ‥)妙な話ではあるのだな
      人間がこうした過程を
      理解できなくなるのは
      生物進化に関する場合に
      限られるようなのだよね
 
 山脈が浸食されて丘になる。あるいは海辺の丘が隆起して山になり、ついには大山脈になる。この過程に疑問を抱いた人は、キリスト教の創造論全盛の時代はともかく、個人的には今のところ見たことがない。
 
 ∧∧
( ‥)ところが、個体変異、
    集団のわずかな違い、
    変種、亜種、別種、別属、
    別の科、さらには別の門
    こういう進化と変貌の過程は
    多くの人が理解し損なう
 
  (‥ )理解の奇妙な失敗。
      理解の失敗にある偏り
      ここには
      人類という種族が持つ
      認知的なバイアスが
      かかっている、
      という説は
      納得がいくのだよね。
 

 例えばの話。ブリキのバケツを加工して作ったブリキ板は、バケツ由来のブリキ板だが、それをバケツのブリキ板である、とはわざわざ言わない。
 
 だが、馬を加工して作った肉は肉ではない。馬肉と呼ばれる。
 
 ∧∧
( ‥)人類は、生物の本質は
    変化しないと思っている。
    それがここからうかがえるし
    だから自然の変貌は
    理解できるのに、
    生物の変貌は理解できない
    そういうことだろうと。
 
 ( ‥)進化論を理解できない人を
     目の当たりにした時、
     行うべきは、理解させること
     ではないのだ。
 
 
 彼がどのような認識を持つがゆえに理解が阻害されているのか?
 
 なぜ”彼”ではそれが顕著なのか? 
 
 彼のその理解の有様を決定している因子は何か? 
 
 それを探らねばならない。
 
 ∧∧
( ‥)説得も理解も教化も
    あなたは求めませんと
 
  (‥ )数学できない奴に数学を
      教える奴がいるか?
      教えても意味ないだろ?
      彼はその時点で
      すでに必要ないのさ。
 
 彼に必要なのは、彼が理解することでも、彼を理解することでもない。彼を支配する因子が何か? それを探る手がかりになるというただ一点のみにおいて意味がある。
 
 理解できない人には価値がある。それは彼自身が”理解できない”を理解する手がかりになりうるからだ。

 

 
 

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