ビザンチンに関する新書(文庫クセジュ)に対しておかしな論評を書いた人がいる、という話*の続き。
∧∧
( ‥)接続詞がおかしいっていう論評は
(‥ )言い換えると接続詞しか
読む能力がなかった、
そういうことよな。
知らない単語があるっていうのも、知らん分野なら知らない単語が出てくるのは当たり前だろう。そのためにこそ、新書を買うのじゃないんかい。
∧∧
(‥ )まあ、勝手に発明した単語を無駄に
□- 使いまくる人も世の中には
いるのですけどもね。
(‥ )ただ、あの本はそういう本ではなかったな
451年、カルケドン公会議は、キリストという唯一の人格の中に人性と神性という両性の合一を認め、「単性論」(受肉化後のキリストが単一の性質(フィシス)であるとする説)を拒絶して、アレクサンドリア大司教ディオスコロスを弾劾した。「ビザンツ文明」pp43
∧∧
( ‥)まあ、確かに、著者や後世の研究者によって
発明されたとか、狭い範囲でしか使われない
マイナーな専門用語はないですね
( ‥)こういう文書を読んで、分からん、用語が
-□ ぞろぞろ出てくると論評してしまうのは
自分が世界史の基礎を知らんだけだろう、と
しか思えないね。
これが素人というやつなのだ。プロはこんなことはしない。
(‥ )プロはね、後書き、前書きだけ読んで
200文字ぐらいで「こんな本です」と
自信たっぷりに書いちゃう
∧∧
( ‥)...それがプロかよ
ああ、実はこれがプロなのだ。少なくとも、雑誌や新聞に載っている書評の多くは、よく見てみると後書き、前書きしか読んでいないことが丸分かりである(ようするに中身は理解できないし、そもそも読んですらいない)。
∧∧
(‥ )まあ、時間もないですし、仕事に
\- 追われてますからねえ
(‥ )プロってのはそんな程度のものなのさ。
ただし、素人はこれ以下である。