自己紹介

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2010年7月20日火曜日

結局はその人の腕でしょう

 
 もう少し面白い話をふれないもんか、こいつは。

 ∧∧
( ‥)とっ、あなたはそう思うと

   ( ‥)いやだってつまらないもの
     -゜ この馬鹿は
       ちょっとは話を工夫
       できないものなのかね?

 ∧∧
( ‥)でっ? あなたは?
    面白い話ができるんですか?

    (‥ )いや、できないし
        しない。

 面白いものは自分で探せ、考えろ。他人に求めたって面白いわけがない。

    (‥ )ただね、
        つまらないのはね...
 ∧∧
( ‥)勘弁してくれと。

 最低限、つまらない以上を求めます。


 さて

 こんなことがあった、昔、ある学会での一般向けの講習があって、質問の時間に質問したことがある。

 そのシミュレーションがそこまできれいに動くということは、実際の現象もその記述の通りだということですか?

 いや、この◯◯さんがやったシミュレーションはこれこれこういう値をはめこんでうまく動くように調整してあるものですから、そういうことを分からないとあなた駄目ですよ。

 ∧∧
( ‥)まあ、だいたいこういう
    やり取りでしたっけ?

   (‥ )正確には思い出せないけど
       こんな感じかな

 ようするにこう。

 これって本当?
 いや、恣意的な部分があるし、それがわからんと、あんた駄目よ
 
 そういうやり取り

 ∧∧
( ‥)赤っ恥をかきましたか?

   (‥ )いやあ? その可能性も
       念頭に入れていたから
       ああ、やっぱり
       と思ったかな。

 もう少し具体的に言うと、それは講演者である大学教授が別の研究者の研究例をひっぱってきたものだったけども

 ∧∧
( ‥)つまり

   (‥ )研究者による
       データのチョイスや
       解析手段のチョイスには
       ”恣意的”な部分がある

 ∧∧
( ‥)....当たり前のことですよね

   (‥ )当たり前のことだね


 科学は客観的な真実を追求するものだ、という信念やイメージとは違って、研究者は主観から自由にはなれない。

 ∧∧
( ‥)というかチョイスした仮説に
    基づいて作業している時点で
    それは主観ですね。

   (‥ )自動的にだ
       収集したデータも
       その採用された仮説から
       自由になれんのだ
       というか、そもそも
       その仮説に沿って
       データを集めている
       わけだし。


 しかしさりとて、研究者とは、仮説を支持するようなデータ”だけ”を集めているわけでもない。

   (‥ )まあ、仮説を支持する
       データ”だけ”を集めても
       いいんだろうけどさ。
 ∧∧
( ‥)そんなもの、
    あっという間に
    ぶっ壊されちゃうでしょ?
 
 だいたい、データを眺めているうちに
 
 ”うん?? これならいけるんじゃね??”
 
 という仮説を思いついたから、その仮説に基づいてさらなるデータを集めているのであって、

 ∧∧
( ‥)そうである以上、
    分の悪い仮説は
    そもそも最初からはじかれていると

   (‥ )誰もが、最低限、
      数年とか10年とか、
      そのくらいの期間は
      保ってくれる
      そういう頑健な理論を
      提案したいだろうしね。
      ぱっと見て”駄目だ”
      と思ったら
      そもそもその仮説や理論に
      賭けないだろうしなあ。


 とはいえ

 ∧∧
( ‥)これはいける!! と思ったら
    データをちょっと
    恣意的に選んで
    いかにもきれいにしてみせると

   (‥ )論文を読んでいると
       そういう事例に幾つか
       出会うもんだ
       
 
 つまり、こういう”恣意的なデータの収集”は、どこの分野でもあるんだろう。

 捏造みたいなものは論外にしても、事実をちょっとだけきれいにまとめてみせた(あるいは”そのように見えるくらいきれい”なものとか)、そういう事例は色々とある。

 ∧∧
( ‥)メンデルさんの
    遺伝のデータなんかも
    そうなんでしたっけ?

   (‥ )捏造ではないにせよ
       データが異常にきれいで
       これはあからさまに
       恣意的な操作をしたよな
       そう分かるものが
       あるよね


*胚乳の色。258株から8023個の種子が得られ、6022個は黄色で、2001個は緑色であった。「雑種植物の研究」岩波版 pp22
 
 こんなきれいなデータ、ほとんどありえないものだ。

 恣意的という点では、2005年に出た、”始祖鳥は鳥ではない”という論文も、まあ、あれもそういうものと言えるかもしれぬ。

 ∧∧
( ‥)始祖鳥の新しい標本を調べたら
    これまで派生形質と
    思われていたものが
    原始形質でした
    という論文でしたね。

   (‥ )その新知見それ自体は
       いかにも重大なのだ
       始祖鳥は知識が
       増えるたびに鳥っぽく
       なくなってきたけども
       とうとうここまで
       きたかという感じでね



 そしてこの論文では、でっ、このメンツとこの新しい知見に基づいたデータで系統解析すると、こうなりますよ、という結果をさらに添付した

 ∧∧
( ‥)当時さる人が言ってましたよね
    あの系統解析は余計だ、と。

   (‥ )まあ、余計だろうね
      でもいいんじゃね? 
      幾つか形質が原始形質
      つまり使えないデータに
      なりました、それを
      ”以下のようなメンツで”
      系統解析すると
      始祖鳥の系統上の位置が
      既存のものと違う
      結果になりました、
      それだけの話。


 もちろん、この結論はニュースになり、人によっては
 
 ええっ?? 嘘!!?? 始祖鳥は鳥じゃなかったの??
 
 だったかもしれないけども、
 
 分かっている人からすれば

 「ああーはいはい。”このメンツで”やれば確かにそういう結果が出るよね」

 というような反応。

 ∧∧
( ‥)とはいえ、誤解を招くし
   いたずらにセンセーショナルな
   ことをするのは余計だって
   言われるのですよ

   (‥ )まあね、でも、
       やりたかったんだろ?
       実際、ニュースに
       なったのだから
       大成功よ。
       それになにより。


 嘘ではない

 ∧∧
( ‥)まあねえ、嘘ではないですよね。

   (‥ )得られた新知見の影響が
       あからさまに出るような
       メンツで解析を行った
       というだけでね。

 ∧∧
( ‥)その言い方では、まるで
    恣意的な結果を導く作業を
    肯定しているかのようですが。

  (‥ )肯定はしているよ? 
      ただし、こういうやり方が
      肯定されても、
      結果まで肯定される
      わけではない。


 恣意的に論文を書いた。それに不満があれば、その論文を打破する論文を書けばいい。

 ∧∧
( ‥)まあね、科学はその点では
    オープンスペースですから。

   (‥ )だからやってもいいけど、
       腕がないと、すぐに
       潰されちまうんよね

 まあ例えば、2年後の2007年には「やっぱ始祖鳥の系統上の位置は既存の場所でしょ?」という論文が出た(この辺りの話はこの本でちょろっと書いた→*)。

 ∧∧
( ‥)打破された、と。

   (‥ )結果が打破された。
      というかパフォーマンスは
      打破された、と
      見るべきなのかな。
      でも成果はずっと残るよ。
      事実、ニュースになった
      わけだしね


 そしてなにより、これらの形質は派生形質ではなくて原始形質であることが分かった、この成果はずっと残る。

 ∧∧
( ‥)そういう点では先の論文は
    賭けには勝った
    ということでしょうか?

  ( ‥)えっ?? 始祖鳥が
    ‐□ 鳥でない??と
      真に受けた人は...
      釈然としないのかな?
 
 そういう人の中には「騙された!!」と思う人もいるかもしれない。

 ∧∧
( ‥)でも、そんなのは
    分からなければ駄目だと

   (‥ )先の教授が言うようにね
       確かにそれは
       正論ではあるな


 科学ってそういう場所でしょ。

 科学は恣意的だ、主観的だ、どうせ新しい理論が出て古い理論が駄目になるから、どれも信じるに値しない。そう、うそぶく人もいるけども、。

 ∧∧
( ‥)そううそぶく人たちがいる
    場所よりも、ずっと遠い所で
    科学者は剣をふるって
    つばぜり合いだと。

   (‥ )科学の妥当性は
       結局のところ
       恣意的とか主観とかとは
       別のところにあるって
       ことなんだろうね。
 

 さもなきゃ勝負に決着がつくということはありえない。”これまでの権威”がデータと新しい理論によって打倒されるということもないだろう。科学は主観だ、オレ様も平等に扱えと言ったところでオレ様理論が支持されないのも、結局はそういうことなんだろう。

  
   (‥ )スポーツでも
       なんでもそうじゃん。
       何事も実力なんよ。
 ∧∧
( ‥)ああ、まあねえ。

 
 *2014.03.19に改行などを改変
 

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