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2009年11月13日金曜日

サイエンスライターってのはSFじゃねーの?

 
 散歩にいきます、朝の3:30。帰り際、4:00だってのに公園の道で人に道を尋ねられた。なんでも隣の駅までの近道はここだーーって教えられたのでここまできちまったのだそうだ。

 ∧∧
( ‥)こんな夜遅くにあの道を教える人が?

    (‥ )どうかしているよね・・・・

 さもなきゃ聞いた人が勘違いしたんだろう。ともあれ、北から吹く風は冷たく、それでも10度はある感じ。はるか地球の反対、ユーラシア大陸の向こう側を見てみれば、イギリスは関東よりもはるかに高い緯度にあるというのにもう少し暖かく、ドイツは雨が降っているにも関わらず、温度はこちらの朝と似たり寄ったりってとこらしい。やはり大陸の西側と東側とでは気候がまるで違う。

 ∧∧
( ‥)神奈川県のここらではもう落ち葉の季節ですね。

    (‥ )間もなく冬か。

 さて

 散歩の最中ふと思った。サイエンスライターってSFなんじゃねーの?

 ∧∧
( ‥)はあ?

    (‥ )どっちも科学してるんじゃーーって言う割りには
        科学を無視した方が儲かる。

 例えばこういうことを言う人がいる。相対性理論は皆信用しているのに、なんで進化理論となるとオレ様進化論だの、ダーウィンの言っていることはおかしいだのっていうやつがわんさか湧き出てくるんだい?

 いや、それは間違いだ。たぶん。だって相対性理論だって、だーれも信じちゃいませんよ。

 ∧∧
( ‥)そう?

    (‥ )SFを見てご覧よ。大宇宙を股にかけて何百光年もある恒星間を
        まるで隣町へタクシーでいくみたいに移動するし、
        大抵はウラシマ効果もなにもないじゃないか。

 ∧∧
( ‥)確かにそうですけど、でもそういうこと言い出したら
    難しいお話になりそうですね。

    (‥ )ウラシマ効果によって時間の向こうに引き裂かれる人々を
        きれいにまとめた話(「幻影の都市」とか?)もあるけど、
        大抵はそんな話にはしないよね。

 幻影の都市だって、例えばの話、映画化は無理でしょー。いやそんなことしなくていいんですけどね。

 ともあれ、はい、このようにみんな相対性理論を信じちゃいません。というか相対性理論が”すごい”ってことを知っているけど、内容を知らないからそれを無視したお話を見ても気にしないというのがより正確?

 ∧∧
( ‥)でもこれの何がどこで、どうサイエンスライターなんですか?

    (‥ )SFって結局は自然科学じゃなくて心理学だろ?

 みんなが喜ぶ話を作る。そうすれば売れるし、そうすれば生活できるし、そうする作家が生き残りやすい。ようするになんのこっちゃない、SFなりSF作家なり、それらは”心理的に受ける話”を作るように淘汰圧を受けているわけで。それは”妥当な仮説をチョイスせよ”という科学の世界とは全然違う。

    (‥ )SFっていうのは自然科学ではないし
        サイエンスライターも同様の意味で自然科学ではないし
        自然科学に参加すらしていないのさ。
 ∧∧
( ‥)はあ、、、でもそもそもSFが科学じゃないのは
    当然でしょ? あれフィクションだし。
    それを科学だって言ったら、それはファンタジーですよね。
    宇宙人、未来人、超能力者、それでいいじゃないですか。
    また聞きですけど。

 いやいやそう認識されているとは限らない。

 以前、ゴジラの映画はもっと科学的にちゃんとしたものであるべきだ、そう一生懸命言っている人がいたので、いや、SFも映画も自然科学ではなく心理学の範疇でしょ? つまりそれは心理学とか認知心理学で処理すべき問題(さもなきゃ市場リサーチ)といったら熱心に反論してくるのだが、その主張内容は「科学的におかしいのにも限度がある」という主張で。

 ∧∧
( ‥)? 限度があるってそれは堪忍袋の話ですよね?
    それこそ心理学の話では?

    (‥ )そりゃあそうだろうね。

 映画を科学的に妥当なものにってあなた、ゴジラが出てきた時点でもう破綻しているがな(*個人的にはゴジラ映画がどんな問題を抱えているのか知らないのでこれ以上は論評不可)。とにかく面白けりゃいいんですよ、面白けりゃ。心理的に、あるいは認識的に。

 そしてゆえに映画もSFも科学じゃねーがな。映画は論文じゃないし、SFも論文じゃねーし。

 ∧∧
( ‥)つまり、あなたの結論はあれですね?
    SFは科学でありたいと(一部の人は)主張するのだが、
    もともとそうではない。
    さらに心理的な淘汰を強烈に受けるからその望みはますます悪化する
     そういうことですね?

    (‥ )そしてそれはサイエンスライターもそうだろ?

 サイエンスライターは科学者ではないし、著作物は査読のある学術誌に載った論文ではない。データと解析手段、そして結論が理路整然と、あるいは結論同士の比較が可能な具体的な数値を出しているわけでもない。

実際のところサイエンスライターは多くの人が陥りやすい勘違いを自分もしてみせた方が多分、経済的には望ましい。例えばの話、

”これは異説であるがむしろこちらが正しいのではないのか!!”

と、こんな具合に”勘違い”した上でセンセーショナルに書き立てた方が”分かりやすい”し受けも良い。(*分かったという言葉や自覚それ自体は何の保証もしてくれないということ)

 ∧∧
( ‥)そしてそういう逸脱は淘汰圧によってますます
    顕著になると。

    (‥ )サイエンスライターもSFも、内部に抱える
        問題は同じじゃねーの?

 科学になれない、科学ができない、科学になりたい、でもますます状況は悪化する。しかもなんかどっちもじり貧ぽい。


 ∧∧
( ‥)それにしてもあなたはサイエンスライターに
    対して否定的ですよねえ。

    ( — —)立場上、肯定のしようがないからな。

 ルイセンコから50年、今西錦司、S.J.グールド(別に全部が変だとは言わないが)。それらを振り返った時に一体どんな弁解ができるというのだね?


 
 

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